上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

見てくれる人

昨日、兄の引っ越しでした。

転職に伴う引っ越し。自分にとって身寄りのない土地で7年間を過ごし、地道な活動を続けてようやく築き上げてきた地位だとか人間関係だとかをすべてリセットして、また一から新しい生活を築き上げなければならない、それはとても大変なことなのだと思います。新しい土地に到着し、一緒にラーメン食いながらそこに至る経緯を聞いたけれど、きっと、相当な不安や葛藤があったのだと思います。お世話になった人もたくさんいるし、不満ももちろんありながらも、ある程度自分の思うような仕事ができていて、ある程度まとまった給料ももらっていたところから、それらすべてを捨て去っての、もう少し自分のやりたいことに近い、新たな環境を求めての転職。おそらく、その決断は到底自分にはできないものだと思います。

ひとつとても印象的だったのが、能力的にはもっともっとすごい人がいたけれども、前職での経験や人間性が評価されて今回の転職に結びついた、と聞いたこと。兄は昔から不器用な人間で、苦労することも多かったけれども、意志が強く、人一倍優しくてまじめな人間だと私は思っています。そんなところをちゃんと見てくれている人がいて、ちゃんと評価してくれる人がいる、ということが、私にはとても嬉しかった。組織の中にいると、人間性とかそういうのじゃなくて、資格とか数値とか客観的にはかれるものに人の評価は拠ってしまいがちだけれど、そういうことではないと思っていて。数字からこぼれ落ちるものっていうものは絶対にあるんだ。けれども、組織の中で人を評価するということには、どうしてもある一定の基準を設けなければならなくて。特に、大きな組織になればなるほど。そんなことばかりを繰り返していて、普段の生活の中では「いいことないな」と思ってしまうことが多いのだけれど、なんだか久々にあったかい気持ちになれた気がします。

後輩さんへ

先日はコメントありがとうございました。まとまった時間がとれなくて、遅い返答になってしまったことをお許しください。

きっと私のしてきたことも同様で、他の人にとってみれば、きっと何かの価値のあることだったということなのでしょうね。私がした行為というのは、行為を起こした瞬間に私のものを離れ、あとは周りの人が受領し解釈するところとなります。その外と内との解釈の間にちょっとした開きがあって、私は必要以上に自己の内的な評価を低く見積もってしまいます。よいところにはあまり目を向けず、悪いところばかりに目がいってしまう。それは私の悪い癖で、そのせいで損していることもずいぶんあります。もっともっと素直になって、ちゃんといいところにも目を向けてあげるべきなんですけれどね。私がサークルでしてきたことというのも、もちろんよかったこともいっぱいあるんでしょうけれど、もっとこうすれば良かった、と思いながらできなかったこともたくさんあるので、どちらかというと後悔のほうが強く残っていて。改めて伝えてくれて、ありがとうございます。

今度いつか、どこかでお会いできるといいですね。そのときには、ぜひ声をかけてください。

なんだかいつもながらうまくまとまっていないけれど…このへんで。