上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

「文体」

業界によって、なんとなく「文体」みたいなものってありますよね。なんとなくその業界の人ってそういうものの言い方だとか、そういうものの考え方をしますよね、っていう感じのもの。業界だけでなく、階級であったり、居住地域であったりというとこでもあるとは思うけれど。SNSのタイムラインを眺めていたり、新聞を読んでいたりしてもそれを感じることがある。色々な人が色々な意見なり回顧録なりを載せているけれど、そこにもどうにも自分に合う合わないという「文体」がある。

自分の会社の偉い人になんとなく共通している「文体」があまり好きではなくって、あんまりそうなりたくないなぁ、と思うのだけれど、一方でこの会社で生きていくためには必要なもので、淘汰された結果そういう「文体」を持った人が残っていっただけなのかな、と思っているのも事実。同期を見渡してもなんとなくそういう「文体」を持った人というのはいて、こういうのが偉くなっていくんだろうなぁ、と思いながら眺めている。もっとも、これは自分の会社だけに限ったものではなくって、新聞に載っている他の会社の役員クラスの方々から漂う何かにも通底するものはあるけれど。そういう人が活躍するのは事実でありそれはまた必然でもあるのだ。

最近感じるのは、私はそこにちょっとした苦手意識を持っている、ということ。これって会社員として生きていくのに、割と致命的な欠陥なんじゃないだろうか、ということを薄々思いながら生きている。そうならなければならないのだろうな、と思いながらも、そうなれずにいることにちょっと落ち込んでもいる。就活の時に、この辺の「肌感覚」みたいなものは大事にしたいな、と思いながらいたけれど、結局当時の選択が正しかったのか未だに答えは出せていない。

せめて私生活、自分の周りだけでも、自分にとって心地よい、自分と同じような「文体」を持っている人であってほしいと思うけれど。ちょっと特殊で、あまり理解してもらえないかもしれない、「文体」。環境に合わせて自分を変えるか、あるいは、自分に合わせて環境を変えるか。どちらが正しい選択肢なのか、答えは見えているような気がするけれど。