上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

帰省

「いつまでも あると思うな 親と金」

意味はちょっと違いますが、この歳になって一層、実家に帰る度にこの言葉が胸を締め付けます。親不孝者でごめんなさい。もっと真っ当に、世の中的に明るい道のど真ん中をしっかりと歩みたいのに、いつも、どうしても、ちょっとずつ道を逸れていってしまいます。「正しさ」を標榜しているはずなのに。

今日読んだ本の中で村上春樹スガシカオのスタンスについて語っていた「現実をいったん懐疑し、その懐疑をまた懐疑することによって現実に戻る……みたいな。」という言葉。マイナスのマイナスがプラスになっているみたいなものなのかもしれないけれど、私も恐らくそのプロセスを経ないと世の中に向き合えないと思っていて、そのスタンスを自覚していながらも未だに受け入れきれていないところがある。その結果もしかしたら周りの人に「正しく」見られることもあるかもしれないけれど、でもそれって、決して自然体で内側から滲み出てくる真っ当な「正しさ」ではない。心底の「正しさ」ではなく、取り繕ったその場しのぎの「正しさ」。その懐疑が赦せなくって、屈折したそのプロセスがバレているんじゃないかとびくびくしている。わかる人にはすぐにわかり、冷やかな目で見られているんだろうなと思っている。人間関係を築くなかで、その疑念が常につきまとう。結局は自分の弱さを言い訳してるに過ぎないんだけど。

盆正月に実家に帰ると、つまるところ、真っ当な親と真っ当な兄と、真っ当な兄の真っ当な子どもたちがいて。その恩恵を受けつつ、私もそうなりたいな、そうならなきゃな、と思いつつ、その真っ当さを未だに身につけられないでいて。何度かそのチャンスはあったはずなのに、気づいたらいつも自分から足を踏み外してしまっていて。足りない部分に、いつも気付かされていて、毎回ごめんなさいと思うのだけれど、未だに直せないでいて。甘いなぁ、甘い。

今、新潟に帰ってきました。明日からまた、仕事に戻ります。仕事も私生活も、真っ当に、生きましょう。リミットは、もしかしたら、もうすぐそこなのかもしれないのだから。