上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

人から見た自分

安倍昭恵首相夫人「前回は〜中略〜人から何かを言われると気にしたりして『人から見た自分の姿』だったと思います」(4月7日付日経新聞4面)

なんとなく、今の自分がそういう状況になっているのだと思った。どう振舞うべきか、どう振舞わなければならないかばかりを気にして、結果として自分の主体性が失われている。縮こまってしまって、逆に本来振舞うべき振舞い方すらできなくなってしまっている。なんかすごく違和感。他の場面だと自然体でスムーズに出来る事柄が、全く出来なかったりする。凄くぎくしゃくしている、ような気がしている。常になんか落ち着かない。

今いる会社に就職したときも、今いる職場に配属になった時も、周りの人には「らしい」って言われた。自分としてはそうじゃないんじゃないの、って思うこともあるんだけど、繰り返しそうやって言われてるうちに、自分はそういう人間なんだろう、って、いつしか自分を納得させてしまっている。むしろ、「らしくある」ようにいなきゃいけないんじゃないか、って思って、なるべくそうあるようなやり方で自分なりに懸命に振舞っている。思えば、そんなことが、私の人生を振り返ると何度もあった。周りは放っておいてくれない。

周りから見た自分の「らしさ」ばかりを追い求めてしまって、本当に自分のやりたいことっていうのを押し殺してしまっているんじゃないのか、見て見ぬふりをしてしまっているんじゃないのか、って思うことがある。他に「やりたいな」って思うことがあったとしても、無意識のうちに「自分には向いてないな」って勝手に思ってしまって、結果的に、一番「外から見た自分が一番やってそうなもの」に行ってしまっているんじゃなかろうか。いい子ちゃんにばっかりなろうとしているんじゃないか。そんなことばかり繰り返しているうちに、本当に自分のやりたいことってなんだったんだろうか、なんなんだろうか、って思うようになってしまったんだけど。人から見た自分と自分から見た自分の乖離。そしてその乖離を解消するときに、自分から見た自分の姿をぼやかすことで解消しようとしている。本当に私のやりたいことってなんですか。そんなものはそもそもあるんでしょうか。本来の自分の姿って、なんなんですか。「私らしさ」って、何。懸命に考えてもわかんないから、結果、周りから見た自分の姿が一番自分らしい姿なんじゃないかって短絡的に考えてしまって、そこに落ち着いてしまう。

別に今出てきた問題意識ではなくって、既に5年前にも思っていたことではあるけれど。所謂「自己分析」を本気になってやったのは就活のときだけれど、その時からずっとそう思ってた。っていうか就活の時なんて、そもそも「周囲から見た私の姿」で就活やってたみたいなもんだしね。悩みに悩みまくって、そんなもんわかるか、って思って(この辺如実に表れている)。そりゃそういう結果が出るのは当然なのか。

最近またこの部分がちょっとぐらつかされているけれど、そういうときこそ、原点に戻るべきなんでしょうね。あれ、戻るべき原点って、どこにあるんだろう。