上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

失望

いつまで経っても煮え切らない自分に心底失望している。

新しい職場に変わって、何が辛いって仕事が辛いとか上司が辛いとかそういうんじゃなくて、全くもって自分の不甲斐なさが辛い。全部、自分の問題であるのが悲しい。前から自分の中にある「原動力となる部分」の欠如を感じていたけれど、今はっきりとそれを自覚している。言われたことしか出来ないし、やらないし、自分の意見を持とうとしない。自分の頭で考えようとしていない。とりあえず前例を踏襲しようとするし、とりあえず誰かの意見を求めようとする。主体的に考えようとしない。私の意見は私の意見ではなくて、私の頭を経由した誰かの意見である。私は傀儡に過ぎない。だから、前向きに仕事に取り組もうとしていないし、とりあえず目の前のことさえ無事に通りすぎていけばそれで良しとなっている。そんな毎日の繰り返し。

今の職場に来て2週間が経った。作業的なことなら多少出来るようにはなり、一見多少仕事が出来るようになってきたように「見える」のかもしれないけれど、実際のところは、少しも自分の頭で考えて何かを組み立てようとしていない。何が今必要かを考え、新しい能力を貪欲に、主体的に身につけようとしていない。全てが受動的。単なるバイトでも出来る中身。全く生産性のない仕事。そのうち1人で放り出されたら、きっと何も出来やしない。いつかその日はやってくる。

高校のときもそうだった。大学のときもそうだった。立場的に何かをしなきゃいけない立場にあって、それなりの煩雑な定常業務をこなしているうちに何かをやった気になってはいたけれど、何か意思決定をするとき、それはいつも頭となる強い意見を持った誰かが近くにいて、その考えをなぞって形にしていただけに過ぎなかった。常に、「私の自由意志」はそこにはなかったんじゃないのか。就活のときに自己分析をして、そう思った。表面的な経歴は私のものではない。その模倣能力の高さ、ルーチンワーク機械的に反復させる能力故の結果であって、決して私の内面から湧き出る創造的な部分が生み出したものではない。その部分が私には決定的に欠けている。そう思いながらも、表面的には騙し騙しやっていた(迷っていた時の話)。

表面上はそれでも何らかの結果は出てきた。けれど、それは自分の結果ではないと思っていた。それが勘違いであると気づいてはいたけれど、見て見ぬふりをして、あたかも自分のものであるかのように勘違いさせながらここまで生きてきた。そんな自分を認めたくなかった。やっぱりどっかで、自分には何かを生み出せると思っていたかった。それでもそれなりに結果は出てきた。けれども、一方で、やっぱりそれを心の底から信じられるほど完璧な人間ではなくって、心のどこかで負い目を感じながら生きてきた。そして、出てきた結果も、自分にとって100%満足できるものではなかったのが、それを証明していた。鋭い人にはすぐにバレるんだろう、と思いながら生きてきた。そんな自分を赦せないままここまできた。そして、こんな自分は誰にも赦してもらえないんじゃないか、と思いながら。今でも、その恐怖に怯えながら生きている。今はそうやって表面上をごまかしながらでも、それでもそうしてやっているうちにいつかは嘘が本物になる、と懸命に信じたくて(このへん)。

それが、結果、この様である。ほとほと失望している。やっぱり、何も変わっていないんじゃないか。私には、今の立場で期待されるはずのものを提供できない。期待に応えられない。そんな自分に酷く失望している。スキル的なものが不足しているだけなのであれば、それでも必死でやれば後から結果はついてくるけれど、本人の内的な弱さの問題なだけに、救いようがない。私が上司だったら、友人だったら、家族だったら。まず間違いなく失望すると思う。見放されても仕方がない。そんな自分を、自分で許すことはやっぱり出来ない。

これは、社会人として金貰ってんだからそんな甘えたこと言ってんじゃねえよ、って話だ。周りの人は、ちゃんとやってんだ。結局は、自分が解決するしかない。