上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

フィルター

最近ちょっとフィルターがうまく作用していない、というか、ザルになっているような気がする。

何か発言をする際に、その発言は果たして適切なものかどうか、というのを一度考えてから物を言うようにしている。これは、高校時代、全校生徒に配るプリントを作成するときから意識するようにしていること。文章を配布するときには、その内容から表現の方法までを十分推敲して、その文章が配布された人に与える影響を考えてから配布すること、ということを当時の担当の先生から言われた。その枚数が増えれば増えるほど、受容する側の多様性は増すので、それら全員にちゃんと受け取られるような内容ないし表現であるのか、ということをしっかりと考えろ、と。

それは文章として誰かに配るもの以外にも全般的に言えることで、自分が他者に対して表出するものすべてに言えることである。誰かに発する言葉であったり、誰かに送るメールであったり、誰かにする行動であったり。そういうものすべてについて、果たしてそれが場に適切なやり方で為されているのか、ということを、やる前に頭の中で考えてから行うようにすること。いわば自分を表出する前の最終チェックを行うフィルターみたいなもの。これをすることで、少しは正しい人間になれるかと思っている。ところが、それがちょっと緩んでいる気がする。

昨晩の飲み会もそう。確かにアルコールが入ると確かにそのフィルターは緩くなるけれど、アルコールの入った頭なりにそれなりの判断を働かせながら発言はしているし、してきたつもりだ。でも、それがちょっと納得できないレベルにまで達してしまった。その原因の1つが、朝述べたようなちゃんぽんだったり生酒だったりワインだったりする。そういうことをするとどうなるか、ということを頭では認識していながら、それでもなおそれらを摂取してしまったというところに敗因がある。ここまで行ったら危険ラインですよ、そこを超えた状態で起こったことについて私は責任をとれませんよ、という状態を作り出さないようにすること。これは行動レベルのフィルターがうまく機能しなかったということ。その辺の緩み、ですよね。

このフィルターは作用しすぎると人の顔色ばかりうかがうようになったり、自分の意思の全くないただ場に適切な行為なり発言なりだけをするようになってしまう危険性もはらむけれど(このへん)、世の中で生きていくためには大切なことだと思っている。この辺最近ちょっと「正しくない」ので、ちゃんと襟を正して生きるようにしましょうね。

次回の飲み会の正しい取り組み目標:自分がどうやるとダメになるかという認識を正しく働かせて、不適切な状況を未然に防ぐ。