上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

なんとなく

最近思っていること。

そのいち。雇用。

若者の雇用が全然ないって言ってるけど、グローバル化して工場がどんどん海外に出て行っちゃって、海外の安い労働力によって生産されたやっすい商品がたくさん国内に入ってきて、でっかい駐車場備えた巨大ショッピングモールに行けば何でも安く買いそろえられる状況下で規模の小さい小売業がどんどん衰退しているこういう社会状況だったら、それって不可抗力なんじゃないの。社会、世界の流れがそうなっているんだから、抗えない流れに乗っかってしまっているんじゃないの。現実問題、多少質が劣っても安いものの方がいいや、って言ってそっちのほうに流れていってしまっているのは我々消費者なんだし、自由競争化が進む社会ではその流れを食い止めることは出来ない。少ない人数で大量生産した方が効率がいいのは事実なんだし、今の世の中はそれを可能にする機械技術も整っている。海外流通を可能にする物流も整っている。小売業だって同じこと、少ない労働力で多人数を捌けるほうが効率がいいに決まっている。そうするとどんどん国内の雇用は減っていくのは必然。成熟した社会ほど第1次から第3次産業に移行するという説が本当なのならば、日本はだいぶ第3次産業中心の世の中に移っていっているのであろうけれど、サービス業って、消費者側にある程度金銭的な余裕があることが前提でしょ。そもそも雇用がなければ消費の余裕もない。そのうち、共倒れになっていくんじゃないの。なんとなくそんな風に思った。なんていうか、今の資本主義の世の中で稼ぐために最適な方法を理詰めで考えていくと、どんどん社会全体は悪い方向に向かっていく、というか。自分の身を守ろうとするのと、社会全体の最適を考えるのとが一致しない。自由競争って言えばそれまでなのかもしれないけれど、相当えげつないことでしょ。かといって、いい代替案を考えつくかっていうと、そうでもない。そのためには今の体制から変えなきゃいけない、んじゃないかと思う。身近なところで雇用がないからどうすればいい、っていうのを考えるのと、社会全体で雇用がないからどうすればいい、っていうのを考えるのは全く別の議論で、残念ながら前者レベルまでにしかまだ考えるに至らない。成熟っていうより、アポリアに向かって歩いているだけなようにも見えるんだけどね…。

そのに。原発

原発の再稼働が云々、っていう話で、再稼働が必要なんだったら、期限を明言してやればいいんじゃなかろうか。一時的に電力が不足する、代替エネルギーによる供給体制が整うまで原発で補う、そのうち脱原発化社会にする、というのが政府の流れでしょ。でも、結局原発が必要って言うだけ言って再開させたいだけなんじゃねーか、って言ってるのが反対派の主張。おそらくその中には、どうせなし崩し的に復活させてそのままずっと動かし続けるんでしょ、という推測が含まれているんだと思う。先行きが見えないから不安になるのであって、期限を明示して、この年までに原発を撤廃する、その間に代替エネルギーを充実させる、っていう方向性を作れば、より納得は近いのではないだろうか。結局今のままでも押し切れることは押し切れる、というか、押し切ろうとしているのかもしれないけれど、よりすっきりした議論で片付けるにはこうするのが筋なんじゃないかと思う。もちろん、安全性の担保は大前提の話だけれど。先行きをどうするか、というのを抜きにして、とりあえず目先の再稼働の安全性の議論だけをしているから、不信感が募っているように見えるのだけれど。なんか、「ずるずる」感が抜けない。「脱原発化社会」なんていうすごくぼんやりとした曖昧な言葉だけじゃなくて、その過程も明確に示すことが出来ればいいのだけれどね。ま、それも難しいんだろうけど…。

どっちも、浅い知識に基づいて適当に流しただけだから間違ってるかもしんないけど。もしかしたら半日後にも変わっているのかもしれないし。けど、なんとなく、そんなことを思いました。