上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

古い服を捨てた。4袋分。

今回捨てた服は、大学時代に主力として活躍していたローテーション戦力が多く含まれる。最近全然着ていなくって、「取っておけばいつか着る機会もあるだろう」と思って取っておいたけれど、結局1年に1回ずつくらいしか着ていなかった。そんな服。だいぶくたびれて、よれよれになっていたし。結局はいつも着る服ってお気に入りの何着かに限られるのである。今になって見てみると、当時はなんて恰好をしていたんだろう…と思うけれど(笑)、当時はバイトもしてなかったし、金銭的制約とかもあったので仕方がない、ということにしている。結局それ相応の恰好をしようとすると、それ相応の金が必要となるもの*1

センスみたいなものって、一朝一夕で身につくわけではない。数々の失敗を経て、徐々に洗練されていくものだと思っている。大学時代にもう少し積み重ねがあったとしたら、もう少し今いる位置も高くなっているのかもしれない、と思うことがある。何事においてもそうだけど。成長曲線の角度が同じだとしたら、今何かをやらない選択をする、というのは、今始めた場合に比べ、将来的に至ることのできる高さを減らしている、という意味を含み持つ。それを後になって後悔してももう遅い。まぁ、そうは言うものの、大学時代の多少の積み重ねがあったから、まだ今がマシ、と思っている自分がいるのも事実なんだけどね。多少の後悔もあるけれど、多少の納得があるのもまた事実。今着ている服だって、もちろん100%の納得なんてしていないし、試行錯誤の真っ最中けれど、それでも昔よりは納得度は多少なりとも高くなってはいるんだと思う。きっともう何年か経ったら、今の自分の恰好見て、また同じようなことを思うんだろうな…。

服を捨てる、というのは、それにまつわる思い出も捨てることと同義だと思う、というのは昔書いた。今回捨てた服にも、色々な思い出がまとわりついている。冬ずっと着てたキャメルのコートには、先輩と飲みに行ったときに店員さんにカシオレを壮絶にこぼされた。細身の紺のデニムは、全然安いやつだったのに、だいぶ履き古してたら後輩に「いい感じの色になってきましたね〜」って言われて、そこでデニムの「色落ち」という概念が初めてもたらされた。黒の綿パンは、何年前のクリスマスの日に着てたやつ。これらの記憶が私の頭の中でどこでどう結びついているのか知らないけれど、服を捨てようと思って手に取った時に、ぱっと思い出される。

そんな思い出と一緒に、衣装箪笥の中身を整理していく。こんなこと書いてたら、「古いのが去らないと、新しいのはやってこない」っていうコメントをもらったことを思い出した。真実ですね。

*1:ただし、高い金を出したからといっていい格好になるとは限らないけれど