上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

好き嫌い

「あなたは自分の気に入っている人にはとても優しいですが、そうでない人にはとても冷たくすることがあります」的な内容の性格診断を、小2くらいのときになんかの雑誌で与えられたことがある。

今でも覚えているっていうことは、よほど印象的だったんだろう。どこか心の中にひっかかったまま、今まで生きてきた。ある種の公平性を意識しながら生きてきたけれど、その一翼を担っていた部分もあるのかもしれない。

こういう性格診断によくあるように、誰しも何かしらの形で人にはこういう性質というのは備わっているものなのかもしれないけれど(だから性格診断はさも当たっているように見える)、それにしても未だに自分自身を振り返って、ふと胸に手を当てて考えてしまうのである。絶対そうしてる部分あるよな、って。おそらく相手も感づいているはずである。自分自身、感情を隠すのは苦手な方だし、人間って他人のそういう素振りには意外なほど敏感なものだから。

そういうことなく、誰とでも分け隔てなく接することが出来る人って、いるのだろうか、と思うことがある。時々、とても高いレベルでそれを達成している人がいるけれど、果たしてそういう人は、自分の中のそういう部分を超越してその域に達したのか、それともそういう性質は最初からないのか。

どうしても根が曲がっているせいか、全くのゼロ、というのがなかなか信じられない。いたとすれば神なんじゃないかと思う。ゼロに限りなく近づけることは出来る。ゼロっていう人はなかなか信じられなくて、逆にそういう部分があることを自覚して、その上で努力をして限りなくゼロに近づける、という方がしっくりくるし、なんとなく信頼に足る。でも、時々、この人ホントに最初っからそういうことを思ったことすらないんじゃないか、疑問に思ったことすらないのではないか、と思う人がいる。素直に感心してしまう。

「好き嫌い」が元からあるけれど、それを客観的に捉えて、極力薄めようとした結果なのか、それともはなから「好き嫌い」がないのか。「ゼロに近い」という点で、外から見れば一見同じように見えるけれど、中身は随分と違う。なんとなく、その人と接しているうちにどっちの側の人間なのか、わかる気はするけれど。それこそ完全に、「合う合わない」「好き嫌い」の問題だと思う。

自分は小2のときから自覚しているように、既に前者の側に属している。今更後者になることは出来ないから、努力を進めていくしかない。

この話、好き嫌いに限ったことではないと思うけれど。先天的なものか、後天的なものか。