上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

TOKYO

東京を歌った歌ってのは意外といっぱいある。

タイトルに含まれる曲だけでも、福山も2曲歌ってるし、YUIとかスガシカオとかその辺も歌ってたりする。ケツメだって歌ってればゆずも歌ってる。桑田も歌ってるし、陽水だって歌っている。タイトルに含まれなければそれこそ。それだけ東京ってマチは色々な刺激も詰まってれば色々な思いも詰まりやすいところなんだろうな、と思うけれど。

今東京にいたところで得たチャンス、今東京にいないことで逃したチャンスってどのくらいあるんだろうか、と、ふと一瞬思った。なんていうか、20代を東京で過ごすのとそれ以外の場所で過ごすのって、きっと凄く大きな差がある。それだけ東京には、あらゆる可能性が詰まっている、ということなんだと思う。ヒトが多く集まるところにはそれだけ多くの可能性が転がっているし、モノが多く集まるところにはそれだけ多くの刺激が転がっている。俺のベースがあっちにあるからかもしれないけど、手持ちのカードの数が違う。切れるカードが20枚あるか3枚しかないかくらいの差なんだ。きっと。それじゃ、勝負になんねえっしょ。今更かもしんないけど、華の20代にそれを享受するか否かってその後の人生に大きな影響を与えているんじゃねえか、って思って、すっごく怖くなった。

テレビ見て、聞いて、人の話を見て、聞いて、その瞬間に俺が立ち会っていれば、俺が東京にいれば、って思う瞬間がたまにある。

でもそれってさ、要はさ、そこにあるはずだった「可能性」の問題なんだよ。結局このときこの瞬間に東京にいない事実は変えようがないんだからさ。東京にいたからって、結局今よりいいと言い切れる保証はどこにもない。結局そこにあるのは「可能性」だけなのであって、ありもしない空想だけ転がしてれば現実から目をそむけていられる。そして、可能性がないからって生まれた色々とぶつけられないもやもやを、全てそのせいにして、責任転嫁出来るってわけだ。可能性を阻んでいるもののせいにしちゃえばね。東京にいて合コンやりまくってればいつかは、なんて思ってるかもしんないけど、合コンから実りのある出会いが出てくる可能性なんて保証されてないんだぜ(笑)。

ホントに20代を東京にいてえな、って思ったら、明日にでも会社辞めて東京帰ればいいじゃん。結局そういうことだよ。

可能性ってやつはいつだって輝いて見えっかもしんないけど、結局グッドエンドからバッドエンドまで無数に広がる枝のうちのたった1つに過ぎないわけだからね。輝いて見えるその枝に辿りつける保証はどこにもないし、その枝の先がデッドエンドになっていないっていう保証は誰にも出来ない。でも、枝が多いってことは、それだけグッドエンドの可能性も広がるってことだ。自分が努力さえすれば、ね。要は、そういうことでしょ?

明日会社辞めて東京帰っか、なんてね(笑)。枝を増やすのも自分なら、枝を選ぶのも自分だぜ。周りのせいにしてはき違えちゃいけない。