上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

普通

今日仕事中に、久々に「ちょっと普通ではない女の子」に遭遇した(いい意味で)。多分学生だと思う。

まだ角が取れていない感じ、というか、強い芯が見え隠れするような感じの。「とんがった」という表現が近い気がする。「個性的な」と言ってもいいかもしれない。大学生くらいのときにはまだ結構いるもんだけど、社会人になってみると、自分と接する範囲にはぐっと減ってくるのがわかる。それは、社会に出て摩耗される(良く言えば洗練される)のかもしれないし、歳とって色々経験するうちにだんだんと一定の振る舞いを身に着けてくるのかもしれない。あるいは自分の身の回りにいる社会人、というのがそもそもある特定のふるいでもって篩い分け取り除かれた集団だからなのかもしれない。少なくとも、ここ2年くらいはそういう風に思ったことがなかった気がする。もちろん、多少のばらつきはあるけれど、最近会う人たちって所謂「普通の女の子」の範疇をもはやあまり出ていない気がしていて。完全に感覚だけれど。多少の個性こそあれ、「一般的な」っていう言葉でイメージしうる想像の範囲内に収まってくる。そういう意味での「普通でない女の子」っていう表現*1

社会で生きていく以上、「普通であること」って実はとても便利で、普通な人は特段得することもないけれど特段損することもないようにできている。例えば「普通」と「正しい」の絡みで見てみると、ここでいう「普通」ってのは、「正しい」とは一致しない。全て正しいことをやっている人が普通かっていうと決してそうではなくって、全て正しい人はむしろ異常だ。正しさを阻害するものはたくさんあって、妬みや僻み、見栄というものもそうだし、単に個人的な怠惰とか、時代の流行とかそういうものもある。「正しい人」が普通になるのではなくって、「おおよそ多くの人がおそらく感じるであろうこと」が普通になっていくのだ。そういう意味で、周りに「合わせる」ことを知っている人は、普通に近づくことが出来る。けど、中には、そうやって合わせようとすることをしないで(合わせることが出来ないという場合もある)、「普通じゃなさ」を保っている人もいる。「正しい」という点で見れば、周りに曲げられずに、「正しさ」を保っているような人。そういう人って、陰でひっそりと応援したくなる。なんとなく。

ここでは「正しさ」を対にしてみたけれど、もちろん反対に「悪さ」っていうのもあるよね。ちょっと普通じゃない悪。背筋がぞっとするような。正←………→悪、の真ん中らへんにぼんやりと漂っているものが「普通」であり、その分布は、おそらく銀河の形みたいに真ん中がすっごく厚くて、端っこのほうに行くほど薄くなっていくんだと思う。ちょっとこの辺適当なイメージだけど。

どっちが過ごしやすいか、って言ったら、前述したとおり普通な人のほうがおそらく過ごしやすい。ただ、普通であることを目指すがあまり、他にある素晴らしいものを犠牲にするのはちょっともったいない。だから、両極を知ったうえで、真ん中にあることが結局理想なんじゃないかな。この軸の上で、場の要求に応じて自分の立ち位置を的確に変えられるような。時には「ちょっと悪いこと」が必要とされるときもあるしね。そんな人になりたいと思っています。

今書き終わって思ったけれど、これが「真っ当」な人なんだと思う。

*1:ってか別に女の子じゃなくてもいいんだけど、最近どうしても男の人とばっか接する機会が多いので、ここに目が行ったんだと思う。「普通でない男の人」は、数は少ないけれど、多少は遭遇している。だから別に今更なんとも思わないんだと思う。けれどそれはサンプル数が多いから遭遇する機会があるのであって、女の子と接する機会自体が減っている現在では、珍しく普通ではない女の子に遭遇したー、という話なんだと思う。なんだか言い訳みたいだな、これ、笑。