上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

M2という響き

友人の日記を読んでいて、学問の道に進んでいたら、順調にいっていれば今頃M2なんだなぁ、と思った。

普段、逆の視点(学生→社会人、という向きの矢印)ばかり強調されることが多いけれど、こういう視点もあってもいいと思う。よく学生が社会人に対して抱くコンプレックスが強調されるけれど、逆向きのコンプレックスも同様にあってもいいはず。個人的には、結構なインパクトを受けている。学部の時は院生って雲の上みたいな存在のように思っていた。知識も、覚悟も。特に、M1はまだ院生になりたてで、学部生にも近いイメージがあったけれど、院も2年目になると修論に現実味が出てきたり、とにかくどっぷりと浸かっている印象がある。自分は学問に向いてない、自分にはそこまで出来ない(主に自分の中でのモチベーションの問題)と思ったからこっちの道を選んでしまったけれど、違う道を選択した人たちは、今頃そこに立っているわけだ。この間に挟まった1年とちょっとの間に、きっととてもとても大きな差が出来ている(その差にどんな意味を持たせるかは別として、客観的な事実としての「差」)。徐々に、その間にある溝は大きくなっていくんだろうけれど、今M2であるという事実に気付いた瞬間、はっと既に開きつつあるその大きさに気付いた、そんな感じ。やっぱりなんか、尊敬というか、そういうまなざしを持って見てしまうよねぇ…。

前から書いてるけど、学問ってモチベーションが完全に自発的なものじゃないですか。他者に強制されてやるとかそういうもんじゃない(ごくごく初期の、まだ何もわからない段階はある程度その要素も必要だとは思うけれど)。特に、大学院なんてものは完全にその世界(だと私は思っている)。その段階で自分にそこまでのモチベーションがないと思ったから梯子を降りてしまったけれど、興味的なものはまだ残っている、と思う。そうでなければ大学時代に学んだ意味はない。自分の中でのプロパー、とまでは行かないのかもしれないけれど(やっぱりプロパーになるには院まで行かないと駄目なんじゃないかしら、2年目程度の付け焼刃では到底そんな大それたことは言えない)、でも少しこすってペンキを剥いで見ると地の色が見えます、くらいの感じなのかな。それがおぼろげながらにもまだ残っている中で、一瞬でも机を交えた人たちが自らの道を進んでいる。ホント、すげぇと思う。そう考えるとちょっと置いてかれている、というか、自分は先に進んでいない感じがする。

深度の問題だと思うけれど。自分が道を違えて1年進んでる間に、彼らは同じ道の上でさらに1年を進んでいるわけです。しかも、自らのモチベーションの上に乗っている1年間を。そう考えると、私は結局まだそういう深み的な部分を何も身につけられていないのであって、深度を持っているからこその思考の深み、発言の深み、みたいなものがない。しばらくはこれを繰り返すから、結局そういう深みを身につけられないままに30代を迎えそうな気がするのだな。それはそれで何となく寂しいし、なんとなく焦りも感じる。自分が90度直角に道を折れて100m進んだときに、相手はそのままの方向に100m進んでいるわけだ。当然、元いた位置から進んだ距離は向こうの方が長い。こんな感じで方向変更を繰り返しているうちに、結局元いた場所からあまり離れられない気もするのだよね。そんな感じの深みのなさ。

結局は違う土俵の上だとしても、深度を持たせる取り組みは自分自身でやらなければならない、ということなのだろうね。結局はモチベーションの置きどころの問題だ。どこの世界でも必要とされる「強い思い」「モチベーション」。それが学問の道の上なのか、それ以外の道の上なのか、という違いであって、結局は自分で方向を定めて自分で歩かなければならない。そのことを意味しているのかもしれません。逃げるような形で結局は社会人になってしまったけれど、社会人としての覚悟もやっぱり必要だ、ということ。お金とかそういうところに責任転嫁してないで、こっちの世界でも、自分なりの思いを持つ努力もした方がいいのかもしれません。負けちゃらんないですね。

そこが実は自分自身一番弱いと感じているところなのだけれどね。。。