上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

平標山登山

職場の山岳部の人たちに連れられて、総勢9人で山登ってきました。ツカレタ。

平標山、1984m。頂上でおにぎり食べてガスコンロで作ったけんちん汁食べてビール飲んで帰ってきました。自分含めた初心者中心でゆっくり登ったのでトータルタイムはだいたい7時間くらい。整備された良い登山道でした。松手山からのコースで登り、仙ノ倉には行かず。予報では雷雨だったけれど、幸い最後まで天気は晴れてくれました。おかげで結構焼けたけれど。帰りに温泉入ってビール飲んで帰ってきた。当然帰りの電車は転寝。経験豊富な人に連れて行ってもらうととてもスムーズ。感謝です。

「好き」の定義、物事の「価値」

僕は、山登りもそうなんだけど、何故それをするのか、という問いが投げかけられた時、自分の行為に対して明確な答えに窮する。ある行為をすることの価値は何か。たとえば山登りは、行為に分解していけば、単なる位置エネルギーの無駄な消費*1である(とっても悪く言えば)。でも、人は、高いお金を払って装備をそろえて、苦しみを自らに課すのである。でも、そこに人は様々な意味づけを見出していく。終わった後に飲むビールが最高、って人もいるし、登る途中に咲いている花を見るのが好き、って人もいるし、頂上まで登りきったときの達成感、って人もいるんだと思う。それは人それぞれでいいと思う。ところが自分の場合、そうやって考えたときに、「なぜ?」を繰り返して突き詰めていくと、最終的に答えなんて実はないのかもしれない、と思ってしまう。結局山登りを趣味にしている人ほど山に対する熱意があるわけでもないし、「他の行為でもそれを代替できるんじゃないの」って思ってしまう。そんなんで、「あれ、俺ホントに好きって言えるんかな」って思うことになる。でも、そんな感じのあいまいな「確信は出来ないけどなんとなく好き」ってのが、寄せ集まって好きになっていればいい。そんなもんじゃないのかな。機会があればとりあえずそこに乗ってみればいいじゃない。理由なんて適当でいいんさ。最近そう思います。

とりあえず洗濯物が乾いたらすぐにでも寝ますかね。遊んでばっかいたのでそろそろ仕事もせんばならないですね…。とりあえず明日朝起きなきゃ。まずそっから始めます。

*1:スノーボードもそうだよね。単なる位置エネルギーの無駄な消費。