上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

公平性

公平感って、なぜか知らないけれど私にはとても気になるものです。

何か自分が持っているプラスの部分を「削る」という行為は、常に負の感情を伴うものですが、その「削る」という行為は、高みにあるものをレべライジングしているのか、それとも現時点で標準にあるものを叩き落としているのかによって、納得の度合いも違うと思うのです。削るという行為にはマイナスの感情が伴うために、そこはとてもデリケートな部分だと思うのですが、公平というのはあくまである視点から見たものであるだけに、その判断は非常に難しいし気を使う。もし自分が削られる側に立った時には、思わず「不公平だ!」なんていって非難を加えるけれど、はたしてそれが自分が高い位置にいて、標準化に向かう方向のものであったら、世の中一般的に見たら公平に向かうものなのだと納得するべきであると、少なくとも私は思う。けれどもそれがやっぱり不公平な場合には、正当に主張しても良いとは思うけれど。やはり我が身は可愛いもので(というより生存本能的なものかもしれないが)、得てして自分の身に降りかかる削る方向の出来事には懸命に反論して正当化しようとするし、自分の身に降りかかる底上げの方向の出来事には多少不自然だと思ってもなにも反論せずに受け入れてしまうところはあると思うのだけれど、それが、正当な反論なのか、それとも見当違いの反論なのか、その判断が難しい。

うーん、というスタンスに立った上で、某制度、これやっぱり公平感に欠ける制度だと思うんだけどなぁ…。これは保身なのか、それとも「正しい」目線なのか。その自分の判断が正しいものなのか、イマイチ自信がもてないんだけど。誰かに何かを与えるということは、その一方で削られるものもあるということ。それが公平性を欠く結果につながってはいけないと思います。それが、世の中に大きな影響を与えるものである以上。