上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

健康

最近不摂生な生活をしている。

ここ2週間くらい、アルコールの摂取量が多いのもそうだけれど、睡眠時間が不規則になったり、休日も所用で出歩いていてあまり体を休ませられていなかったり、なんだかよくわからないけれど身体的にはあまり余裕のない生活をしている。精神的にはまぁ程ほどに余裕はあるのかもしれないけれど、身体は酷使されている。口内炎が出来て治らない。自分では大丈夫なつもりでも、こういったところに身体からのエラーメッセージが出てくる。

自分では大丈夫なつもりだからちょいと無理をしたり、大丈夫だろうと思って体に負担のかかるような生活をついついしてしまうけれど、黙って放置していると、いつか積もりに積もってクラッシュすることにもつながるのかもしれない。

身近なところに最近、親族に不幸があったり、入院したりといったことがあり、体は大切にしなければならないと思ったりもした。別に自分のことだからいいじゃん、と思うこともあるけれど、迷惑がかかったり悲しんだりする人がいるのは少なからず事実だと思うので、自分のことだけを考えていてはいけないのかな、とも思う。時にペシミスティックに自分1人だったらどうなってもいい、と思いがちなのだけれど、自分は1人で生かされているわけではないのだ。マジな話。

大きな怪我もしたことがないし大きな病気もしたことがないし、実に健康体だと思いながら今まで生きてきたけれど、遺伝的なものもあり、自分の体は完全体なんてものでは全然ないことに最近気がついた。遺伝的なもので受け継いだもので言うならば、胃腸にある程度の弱さを持っていて華奢な体をしているし、耳も良くなくてしばしば人の話を聞き返すことがある。のども弱くてあまり大声は出ないしすぐに嗄れ、しばしば頭痛がする。これは如何ともしがたい欠陥として生来のものとして付与されているのであり、無視しようとしても無視できない現実として自分の一部になっている。多少の不都合はあってもそこまで大きな不都合をもたらしているわけではないし、生まれつきそういうものだから当たり前のように受け入れていてそれを欠陥として捉えたことがなかったけれど、今更だけれどもしっかりとそういう目で捉えてやると確かに欠陥なのは事実なのだ。

もちろん健康なほうであるのは事実だしそのことに感謝もしているけれど、一方で健康だからといって自分の身体に対して傍若無人に振舞っていてはいけないのかなと最近思う。今までは若さに任せて多少なりとも無理をしてきたところもあったけれど、不摂生によりこれらの小さな欠陥が一気に大きな反乱を起こすことも有り得る。まだそんな年ではないと思いたいけれども、そんなことを言っていると将来自分の身体から手痛いしっぺ返しを喰らうことになるのかもしれない。

家系的に脳の疾患が多く、血管が細かったりつまりやすかったりするのだろうけれども、例えば水分をこまめに取るとかすることで、脳への負担を減らすことも出来る。アルコールを摂取した後しばしば頭痛がするけれど、それは水分が不足して脳の血管が悲鳴を上げているのだと思う。飲んで帰ってきたあとにコップ1杯の水を摂ることで、将来の脳梗塞のリスクを減らすことが出来るのかもしれない(医学的根拠を知って言っている訳ではないけれど)。「あたまいてー、けどまぁ寝りゃ治るだろー」とか言いながら寝て、次の朝起きてだるい体を引き摺る生活をしていても、事実それはそれなりに生活も回るのだけれども、そういう中で少しのケアを積み重ねることで、将来への負担を減らすことが出来るのかもしれない。部屋帰ってその瞬間ベッドに突っ伏して電気つけっぱなしで寝て、夜中起きてシャワー浴びてまた寝るとかっていうのでもそれはそれで生活回るのかも知んないけど、それよりかは多少眠くても頑張ってやることを先に済ませてしまって、長時間のまとまった睡眠時間を確保したほうが体にとっていいのは間違いない。

そういうとこ、目先の欲求に捉われずに自分を律しながら、生活リズムを少しでも真っ当な方向に直していくことがこれから先必要になってくる態度なのかもしれない。今日も昼間っから飲んで随分体には負担がかかっているはずなのに、さっき帰ってきて2時間くらい転寝してしまった。自戒もこめて、その分多少寝る時間が遅くなっているのも事実だけれど、ここに書きとめることにしてみた。うーん、今読み返してみて、少なからず健康体であるからこその傲慢な部分も出てしまっているようにも思えるのだけれど…。もしそうだったらごめんなさい。一応わかってはいてその辺りへの配慮も自分の中には多少なりともあるつもりなのだけれど(この文章の中に出した部分も出せていないその他大勢の部分も含めて)、その状況に置かれている人にしかわからないことがあるのも事実である。わからないことはわからないのだから確かに仕方がないのだけれど、仕方がないといって放棄した瞬間それは諦めにつながるから、そこへの視点を持ち続けることは大切だと思う。言葉が言い訳がましく後付け的になってしまうけれども…。

皆様も、ご自愛ください。