上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

リベンジ

先週作った牛肉としめじのオイスターソース炒めがあまりおいしくなかったので、今日リベンジのために豚バラもやにら炒めを作った。豚肉、ネギ、をしょうがで炒めて、しょうゆとかオイスターソースとか胡麻油とかをあわせた調味料で味付けして、もやしを加えて蒸し焼きにし、ニラを加えて炒めて、最後に水溶き片栗粉でとろみを加えて終わり。

今度はおいしく出来た。材料的には「4人前」って書いてあったのだけれど、結局1人で全部食べてしまった…(苦笑)。

けれども、レシピどおりに作ったところでそれはまぁ普通においしく出来るわけで。昨日Hくんも言っていたけれど、手順どおりにやれば8割方失敗しないのだ。だから、今日の成功はある意味当たり前ともいえる。

問題は、ここから先をどう発展させていくかにあるわけだ。次同じことが今度は何も見ずに出来るか。今日使った方法を別の何かに応用できるか。学習というのはそういうことだ。

例えば今日用いた「もやしの水分を飛ばさないために、炒めるのではなく蓋をして蒸し焼きにする」とかそういうテクニック。野菜を炒める順番もそうだし、調味料の使い方、火加減なんかもそう。そういう、応用できるテクニックをどれくらい覚えて、それをどのくらい自分のものとして使えるようになるか。結局はそういうことだと思うの。レシピどおりに作るのはただのコピーに過ぎない。そのコピーから得られたものに、自分なりの工夫を加えたり、その技術を他に応用したりするところに、自分が存在する意義が発生する。まぁ、そういう意味では、これもそういう基礎技術を学ぶための基礎訓練だということが言えるわな。

物体の運動を計算するときに、小学校で計算ドリルで学んだ計算が根底にあるみたいなもんだよ、きっと。メタレベルで「学習」っていうことで見てしまえば、結局世の中の全ての物事はそう大した変わりはないんだって。

前も書いたけれど、掃除>選択>料理で、僕はあまり料理は好きではない。その事実に変わりはない。自分で作ったからといって、得られるのは結局自己満足だけで、特に何も生まれないし…。プロの料理人くらい上手くできるようになりたいとは思っていないし、必要がなければ特にやりたいとも思わない。けれど、何かあったときに自活できるくらいの最低限のことくらいは出来るようになっておきたいのだ。きっと。あるいは、何か自分の出来ることの幅を広げるという行為に楽しみを覚えているのか。新しい物事の手順を覚えるという行為は、結構楽しいものでもある。

何だかんだ言いつつ、作ってるときは楽しいんですからね。ただ、とりかかるまでが、とてもめんどくさいんだ…。