上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

客観視

私は自分自身を客観的に見る事が出来ないんです。あなたとは違うんです

自分自身を客観的に見るって相当難しいよなー。適切な自己評価。得てして過大評価、過小評価に陥る。

そもそも「自分で自分自身を客観的に見る」っていうことは、それが他者との関係性の中で行われている行為について言うならば、他人が自分に対して行う解釈を適切に見積もることが出来ます、っていうのとほぼ同義であると言える(厳密には違うかもしれないけれど)。それが出来る人って、きっと相当空気が読める人であるはずだ。そういうのは、おそらく経験を重ねることで身につくものである。主に失敗経験。

ということは、福田さんみたいに72歳にもなれば、色々な経験があるから多少は自分自身のことを客観的に見ることも可能になるんだろうか。確かに、色々経験をした分、見積もりがより適切になものになるのは事実だとは思う。

けれど、僕の22年の浅い経験から導き出した浅い憶測では、多分、そういうのって歳を経るごとに固定化してくるものなのではないかと思っている*1。そして、固定化すると同時に、世の中の変化にうまく対応できなくなっていって、世の中一般の解釈とはずれていってしまうのではないか。ということは、僕があと50年生きたとして、やっぱり自分自身を客観的に見ることは出来ないのではないか…。

あと、わかると出来るは別だ。客観視できたとして、そこで要請されている通りのことが出来るとは限らない。わかると出来るが一致してくれれば、何の問題もないのだけれど。僕の場合、ここにも相当乖離が見られる。わかっていても出来ない、しないことがたくさんある。これはおそらく、年齢関係なく、自分が頑張るか頑張らないかの問題ですね。わかっているならやれよー。ああー。

他人が考えていることを適切に見積もれる能力がもしあるならば、その視線を自分に向けてやるだけで、客観視が可能になるのだろうか。自分自身に関することになると、また色々なファクターが絡んでくるからそうもうまくいかない気もする。見栄とか意地とか。そういうのホントいらない。

人間いつになったら一番適切な自己実現、自己評価が出来るのでしょうね。まぁ、人によってレベルも時間も違うのだろうけれども…。なんか色々な問題が混在しているのでわかりにくい文章だけれども、切り分けるのが面倒なのでやらない。時間もかかるし、1つの文章にまとめようとすると広がりすぎて収拾つかなくなるし。そんなことにかかずらっているひまはないのだよ!

…多分、将来的に今よりもずっと忙しくなってきたら、必然的にこういうことを考える時間も削られるのでしょうな。それはそれで、結果だけ見ればいい感じに落ち着くかもしれない。考えすぎな面が、別の物理的な理由によって補正されて、いい感じになったりしてね(笑)。

*1:だから年よりは頑固な人が多いのではないかと思う