上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

色々あった日

今日は2,3個立て続けに普段起こらないようなことが起きました(笑)。

行き同じ道を通っていた人に帰りも遭遇

最近図書館に自転車で行っているんですが、行きは最短ルートで行くんですが、帰りはつまんないんで道を変えてるんですよ。そしたら、今日、行きに途中から一緒だった人が、帰りもたまたま同じ道を同じ方向に一緒になったっていう…。道変えたはずなのにね。しかも、時間も2時間開いているのにね。2人とも自転車。割と、見た目も似てた気がするけど。多分、相手もわかってただろうね。変なこともあるものですね。

同級生に遭遇

そんなこんなで、普段通らない道を帰りに通って帰ったんですが、そしたら1,2年のときに同じクラスだった人間にめっちゃ久々に遭遇。よりによってこんなところで会うとは思ってもいませんでしたけど。その辺に住んでるんだそうな。また会おうぜって言って別れましたが、今日横にいた女の人が、当時付き合ってた彼女(同じクラス)と違ったのは気のせいだろうか(笑)。まぁ、色々ありますよね。うん。たまたま一緒にいただけかもしんないし、ね(笑)。

火事に遭遇

そんな帰り道、火事に遭遇しました。消防車がいっぱい来てて、家から煙がもうもうと出てて、何かが焦げるにおいが立ち込めてて。足を止めて見ている人もたくさんいたけれど、僕はそういうのを見るのは好きじゃないんで、帰ってきてしまいましたが。

野次馬。

なんか、そういう現場って好きじゃない。人の不幸を見るのが楽しいとは思えないし、何かそこで嫌なものを見てしまったとしたら嫌だし。消防の方々が一歩間違えれば死につながる現場で懸命に頑張っている姿とか、家が焼けていくのを見ている住人とか、はたから傍観しているのって、なんだかいたたまれないじゃないですか。野次馬というか、そういうところに人が集まる心理、そういう人たちがたくさんいることも理解できます。あくまで、自分がそうではない、というだけで。むしろ、多分、僕みたいな人間のほうが世の中的には少数派でしょう。

そして、まぁ、もはや見慣れた光景なのかもしれないけれど、今日もケータイで写真撮ってる人たちがいて。こないだの渋谷の爆発火災で人命救助をして感謝状を贈られたランディ・マッスルさんのコメントを思い出しました。

「何人か手伝ってくれたけど、多くの人が助けるどころか、携帯カメラを向けていた。『人の命がかかってるんだぞ』って思わず叫んだ。ショックだった」

こないだの秋葉原の事件のときにもそうだったけれど、なんか、そういう場面で携帯カメラを向ける意識っていうのも、あまり理解できないんだよなぁ…。ただ、今日の場合は、もう消防隊もたくさん駆けつけていたし、煙ばかり上がっていて火が見えるような状況ではなかったから、まだ、そこで、携帯で写真を撮る人たちを見ることに対してそこまでの抵抗は感じなかったけれど。多分、「火災の現場を立ち止まって見たくはない」っていうのと、同じような意識がそこに働いているんでしょうね。おそらく、野次馬意識とかそういうのより先に、なんていうかその場の雰囲気に対する申し訳なさ、とか、不謹慎だと思ってしまうような意識が上回ってしまうんだろうな。

撮った人はどうするのかなぁ。報道記者とかならまだしも、人に見せて話のネタにするってことなのかなぁ?

また、「正しい正しくない」「個人的に好む好まない」の議論になってしまうけれど(笑)。なんでこういうところにばっかり目が行くんだろう、多分、自分が世の中とずれているところを、過度に意識しすぎだからなのだろうけれど。人の目を気にすると同時に、人がどんな風に考えているのかも気になるのだろうね。倫理的な問題なのか、それとも単に恐怖感とかそういうところの問題なのかはわからないけれど。

あー、なんとなく、こういうところにイチイチ目が行くのは細かくて自分でも嫌になるし、あんまり人に対してこういうのは言えないから大抵黙っているけれど(そういう中、はっきり言ってるマッスルさんは偉いなぁと思う)、こういうとこきっと「細かい」って思われてるんだろうなー…。