上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

視野狭窄

多分24時間ちょっとくらいしか活動していないのだけれど、とても濃縮な24時間だったように思える。

昨日の夕方から、高校のクラスで集まって、同期のアメフトの試合を応援し、そのまま飲み会に突入し、流れでオールして、時間を潰すために新宿からお台場まで歩いて、そのあと今度は同期の野球の試合を応援した。という1.5日。

楽しかった。

そして、様々な方面へ進んでいる同期たちと久方ぶりに集まってみて、そして、体育会の世界で勝負に賭ける人びとの姿を見ることによって、最近の自分がなにやら狭い視野に押し込められてしまっているということに気がついた。

自分の生活が自分の周りの小さなスペースだけで回っているっていうのもあるけれど、特定のコミュニティだけで生活がまわっていると、どうしてもその世界だけで思考が充足してしまう。井の中の蛙状態。自分なりに頑張っているつもりでも、自分なりに色々考えてみたつもりでも、それはあくまで、自分が今いる尺度の中での相対的な頑張りに過ぎない。そこでの80%が、全体での80%に相当するとは限らない。60%かもしれないし、もしかしたら、40%に満たないかもしれない。

僕はいつも、自分が立っている世界の尺度を適当に見繕って、そこに合わせてしまおうとする。だから、今自分がいる環境において、置かれている現状に不満を覚えるならばそこを改善しようとはするけれど、その環境の中で現状に対してほどほどのところで満足してしまえば、そこで歩みを止めてしまう。今自分が持っているモノサシは、あくまで、今自分がいるコミュニティでのみ通用するモノサシ。そのモノサシの中だけでの満足を自分自身の到達点にしてしまうのだ。その、小さなコミュニティの中でこそ満足しているレベルに達していても、一歩外へ出てみたら全然甘い、なんてことはザラにあるのだ*1

同じコミュニティの中にずっといると、そのモノサシで測ることが当たり前になってしまい、いつしか視野がどんどん狭くなっていく。小さな井戸の中で満足してしまい、その外の世界からどう見えているのかといったことに、気を払わなくなる。それはとても怖いことだ、と思う*2

僕自身、あまり積極的に新しいことに挑んでいくタイプではないし、どちらかといえば今所属するコミュニティの中で長期的・持続的に、それを良くすることに尽力するほうを好むタイプだと思う。そして、そういうタイプだからこそ、この視野狭窄に陥る可能性が大きい。自分としては頑張ったつもりでも、井戸の外から見たら、全然なんてことはない。自分が満足している事柄って、大抵、そんなもんだ。そして、自分が悩んでいるように見える事柄だって、同じこと。大抵、自分にとって大きな出来事に見えることも、あとになってみれば些細なことであったりとか、他のことに比べれば些細なことだったりする。世の中にはもっともっと重大な事柄に悩んでいる人だっているのだ。ここで、自分だけの視野に凝り固まっていてはいけない。時々、視点を離してみる必要がある。

こういう新しい視点を与えてくれる機会というのを、大切にして生かしていくことが大事なんだろう。普段は気がつかないものだし、こういう人間にとっては、そういう機会はそうそうあるものでもないのだから。

なんか、そんなことを思い出した1日でした。俺ももっとがんばろうっと。

(ちなみに過去の類似日記:これとかこれとかこれとか)

*1:それを考えると、自分を置く周囲の環境、レベルは、高いほうが良い。要求されるレベルが高ければ高いほど、その分満足するところまで達したときに到達する絶対値も高いところになるはずだから。

*2:だからこそ、組織には新しい血を入れることが時として必要とされるのだろう。組織もそうだし、個人にしたって同じことだ。視野の広がりは、大抵自分と関係ないところにいる他者との遭遇、比較からもたらされる。