上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

2年前の日記

ちょっと涼しい夜はちょっぴりセンチな気分になる(笑)。

だもんで、ちょっくら2年前くらいの日記を読み返したりしていました。

なんか、こんなことを自分で言いたくはないけど、、、若かったですね。。。

前向きな変化

歳を取るっていうのは、良いことも多い気がします。確かに、面倒なことも多くなるのかもしれないけれど、その分、身につくこともたくさんある。それが歳のせいなのか、経験のせいなのかはわからないけれど、昔よりは、確実に出来ることの幅は広がっているはずだし、物事の見かたも変わっているはずです。そうでなければ困る。そういったところに楽しみを見出せるのならば、歳を取るということは悪くないのかな、と思います。「諦めがつくようになった」というのは、結構最近良く感じていることですが、それで随分と楽に生きられるようにもなった。僕は全然、そっちのほうが好ましい。昔から言っているけれど、タイムマシンが開発されたところで、過去に戻りたくはない。もう一度、あれをやるのは御免だ。

まだまだ自分は若い。覚えなければならないこともたくさんある。それは、わかっているつもりです。ここで自惚れていては、天狗になって周りが見えなくなってしまう。けれど、なんというか、まだまだな部分はもちろんたくさんあるのですが、これから遭遇する出来事、身につけるべき物事、そういったことに対する「身の処し方」というものが、昔に比べればだいぶ掴めてきた、ということは言えるのだと思います。ある程度「なんとかなる」と思えるようになった、というか。自惚れるのも問題だけど、ここは、少し肯定してあげても良いのかな、と思います。多分、昔が低すぎた。

そういう意味では、「自信」がついたのかもしれない。昔よりは、少しだけ。

昔は「安定不安定」とか色々考えてましたが、最近は「安定」しているんだろうね。当時から見れば。

そういう意味では、なりたい方向への変化は達成出来ているのではないかと思います。今のところ、は。

過去からの学習

たぶん、これらは全て連関しているんだと思います。ある程度物事に対する身の処し方がわかったので、それが自信につながり、自信がついたところで、それが安定につながる。多分、そのサイクルにうまく乗れたのだと思います。多分、負のスパイラルもあって、それは全てが逆に回っていくのだろうけれど。昔は多分、そうだったんだろうね。

けれど、当時の自分は当時の自分なりに精一杯やっていたわけで、それを否定するわけではありません。同じ状況下に置かれたとして、やっぱり当時の自分だったらそうするんだと思う。今の自分だったら、同じことは繰り返さないと思うけれど、当時の自分はそれでいっぱいいっぱいだったのだ。もう同じことは繰り返したくないし、繰り返さないつもりだけれど、別に暗い過去とかそういうわけではなくって、それは肯定的に捉えるべき過去なのだと思います。きっと、そういう中で色々考え、もがきながら生きてきたからこそ、今の自分があるんだと思うし。

「不安定」あってこその「安定」なんだと思います。失敗からの学習。

ただし、今は周囲から否定されることがあまりない環境で生きているので、比較的のうのうと暮らしているけれど、結果が求められ、自分の至らなさを痛感するような環境に戻ったときには、また、どうなるかわからない。余裕がなくなったときに、どう振舞うかが重要だ。そういうときにでも、なんとかなるように、そのときのために、これまで長い間をかけて仕込みを入れるべく色々考えてきたつもりではあるけれど、こればかりは、そのときになってみないと、わからない。負のスパイラルに再び陥る可能性は、十二分にある。

そうなったときにも、余裕を維持し続けられるような人間でありたいものですね。何とかして、スパイラルに落ち込むのを食い止めたい。そのためにも、今の自分は、昔から比べれば良い方向への変化はしつつあるけれど、まだまだ、発展途上だ。足りないところはまだまだあるので、それをさらに、改善していきたい。満足した時点で歩みは止まる。成長をやめるな。相変わらず、まだ、「真っ当」ではないしね(笑)。だいぶ、そっち寄りにはなってきたとは思うけど。まだまだ、脱皮するチャンスは転がっているはずです。

高すぎず、低すぎず。

自己評価が高すぎ(=自惚れ)でもなく、自己評価が低すぎ(=卑屈)でもないくらいがちょうど良いと思うのですが、多分、そのバランスに近づけることが、一番「安定」に近づくのではないかと思います。高すぎるとただのウザい奴になりかねないけれど、低すぎても逆に自己嫌悪に足を引っ張られる。ちょうど良い点を維持することを目指して、バランスを考えながら頑張って生きたいと思います。真っ当な人間を目指して、ね。