上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

自己基準≠他者基準

昔は全然自覚的になっていなくて、最近(ここ1,2年くらいのスパンで)改善中なのが、

自己基準≠他者基準

という、一見当たり前のようにも見えることです。

これは当たり前のように見えるけれど、しばしばその違いに盲目的になってしまいます。そして、自分の基準を他者に押し付けてしまう。「自分が出来るんだから相手にも出来るだろう」、「自分がこれだけ頑張っているんだから、相手にも頑張ってもらいたい」というようなことは、その一例として挙げられますね。それは、自分のエゴを相手に押し付けているだけにすぎない。

人と自分とは、根本的に、能力から考え方まで違うわけです。けれども、それを考慮に入れずに、自分の価値基準だけを他者にも同じように適用しようとすると、そこで摩擦が生じる。この違いには十二分に敏感になっておく必要があるのだと思います。

相手、もしくは自分に、何かを要求する際の基準について考えてみます。

個人的には、自分に対しては、要求基準をどれだけ高く持っていてもいいと思う(それを達成しようと努力するのも自分ならば、それを達成できなくて原因を考えるのもまた自分であるから)。それが、マイナスの作用を何らかの形でもたらしていない限り。けれども、他者に対しての要求基準に関しては、同じものを適用していてはダメ。そこのところは、適切に他者評価をして、その上で要求基準を個別に設定する必要があるのだと思います。

教育的見地から見たときに、特にこれを達成するのが非常に難しい。高すぎる要求レベルを突きつけるのも相手にとって酷であり、モチベーションを低下させる一因になり得るし、逆に要求レベルを低くしすぎるのはクオリティの低下をもたらす上に、本人の成長にもつながらない。寛容さは必要なんだけれど、必要以上に甘やかしすぎるのも良くないんだと思います。このあたりをうまく見極めて、適切に振舞うことが大事なんだと思います。相手のレベルに応じて。

その時に大切なことは、自分の価値基準をあてはめてはいけない、ということなんでしょうね。あるいは、いくら補正をそこに加えようと、自分の価値基準から出発すること自体が多分良くない。今まで(というか、こういうことを意識する前)は、おそらく僕は、自分の価値基準から出発して、他者の価値基準を考えていることが多かった。けれども、それは間違っている。あくまで、自分の基準は自分の基準であり、他者の基準は他者の基準である。要求基準ならば相手の能力、価値基準なら相手の価値観、といったものを推測して、その上で他者の基準を考える必要があるでしょう。それが、自分と他者が違うということだ。価値観にも近いものがあるけれど。

その辺を履き違えていた部分があったことを反省したので、最近は、このようなことを意識するようにしています。自分が何かをしていても、それは自分が自分でしていることなのであって、他者に同じことを要求してはならない。そして、他者に対して何かを要求する際には、自分と他者の違いに敏感になって、なるべく他者に近づけるようにしたところから物事を考えるようにすること。

まだ、なかなかうまくいかないのだけれど…。