上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

「年上」属性

「年上」ってだけで、物事は変わって見える気がしています。

新歓合宿で、「なんか、さんしろーさんといると落ちつくんですよねー。オトコにこう言われてもしょうがないと思いますけどー(笑)。」っていうことを新入生(♂)から言われて、あー、そりゃあ、俺、もう、4年生だもんなー…。と思って。そして、昨年末の忘年会で、K氏とそーいう話をしたことを思い出しました。

年上っていうだけで付加される属性みたいなのがあると。プラスの。なんていうか、「社長です」って言われるだけで恐れ多くなってしまうのと近いような、若干また別の話なような感じ。同じ人格であっても、それが年上であるのと同い年であるのと年下であるのとでは、捉え方が随分異なってくると思うのですよ。確かに、大学1年生と4年生ではそれまでの経験もだいぶ違うし、中身的にもだいぶ違っているのはあるけれども、それを差し引いても、年齢が与えている影響、というのも少なからずあると思われる。それは果たして越えられない壁なのか。年齢は操作しようがないので(笑)、物理的に操作することはほぼ不可能に近い。

年末以来、自分自身についてそれを考えるときには、「それを利用するもしないもそれは人の自由だけれど、そんなものに惑わされずに俺は人格を陶冶すべきだ」と考えています。将来的には同い年の人との交流って少なくなるわけで、むしろ、そういう年齢によるフィルターが付加された状況のほうが多くなるわけで。その中で、比較対象として誰か年上の人を考えたときに、そういう年齢的な属性によって履かされた下駄も飛び越えるくらいのプラスを自分が持っていれば良いんじゃないかと思うのです。比較対象として捉えたときには、そういう属性っていうのは「無意識に」付加されているものだけれど、それが付け加えられていたとしても、それをも上回るくらいの人間になるべきです。そう考えるのが、おそらく多分一番正しい方向に行く。

もっとも、大学の1年生と4年生だったらそりゃあ大きな違いだけれど、社会に出てからは年を取るにつれ、そういうのの影響って少なくなってくるとは思いますけどね。まぁ、社会人1年目と4年目だったらそれもまた大きな違いだと思うけれど、社会人11年目と14年目はそこまで大きな違いは無いんだと思う。けど、これからしばらくの間は、まだそういう年齢的な要素が大きな期間を生きていくわけです。だから、そういうのを飛び越えるような、年齢不相応なくらいの落ち着きやら態度やらを身につけられたら、と思っておりますけれども。

こういうのって、多分、自分が年上の立場になったからこそ腑に落ちるようになった、というのがあるんだと思います。年末のとき挙げられた具体例もそんな感じだったし、今回の合宿の例もそうだと思うし。でも、そういうのを利用しようとは俺は思わないし、逆にそういうのによって本質が曲げられてしまうと思うので、気分としては対等に勝負したいですね。分不相応なくらいの落ち着きと安定で(笑)。さて、果たしてどうなんでしょうかね。可能なんだろうか。まー、可能だと信じて、これから先もそこに挑戦し続けることにします(笑)。