上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

701

今、メーラーの「削除済みアイテム(701)」っていう表記を見て、「大宝律令慣れはじめ(701)」っていうゴロあわせを思い出した。覚えてから10年近くが経過し、その間思い出す機会は全然なかったというのに未だに忘れない語呂合わせの恐怖。

けど、その一方でやっぱり結構忘れてるのもあるんだよね。忘れているのと忘れていないのの違いにまた明確な基準がないところが人間らしいところ。だって大宝律令なんて、全然使わなかったのに覚えているんだもの。その一方で、重要なのに忘れてしまった年号とかもある。たとえば大政奉還はいつですか??あれ、出てきませんよね。鉄砲伝来の「銃暦(1543)」とかも、ぱっと思いつくんだけれど、別に日本の歴史的にはあんまり重要ではない(銃の伝来自体は日本の歴史を変えたけれど、それは「どこで」「誰が」が重要なのであって、「いつ」は大事な出来事ではない)。必ずしも重要ではないものを覚えている一方で、重要なことを忘れてしまったりする。

多分大政奉還も語呂合わせで覚えたはずなんだよ。当時は。けど、忘れたんだろうな。全く関係ないのにインパクトある語呂合わせは覚えやすかったり(「いちごぱんつ(1582)、本能寺」とか)、有名だし何回も使ってるから覚えてたり(「いいくに(1192)つくろう鎌倉幕府」)、記憶に残るものってある程度色々あるんだろうけれど、それはそのとき自分がその語呂合わせに対してどういう認識を持ったか、何らかの関連性があると覚えているのだろうか。ただ、大宝律令は別にそういうのないよね。もしかしたら、大宝律令は最初のほうだったから覚えているのかもしれない(単語帳もそうだけど、最初のほうで勢いのあるうちって覚えてたりするじゃないですか笑)。

適当につらつら書き連ねました。本当はもっともっとあるし、これもカテゴリに分けて色々考えていくと何らかの法則性なり何らかのパターンが見えてくるのかもしれないけれど、1人で書くより何人かで話しながらやったほうがまとまりやすそうな話だし、別にそうする気力も体力もないのであえてやりません。そのうち飲み会の席で話のネタにでもなればいいけど、こんな話絶対しないよな(笑)。

結局、人間の記憶なんて曖昧で適当なもんですよね…。何が言いたかったんだか(笑)。