上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

コピーと制度疲労

コピーは真似事に過ぎない。コピーを何回も重ねると、品質は劣化していく。制度疲労の多くはこれによって生み出されているのではないか、という話を何処かで聞いた。まさにその通りだと思う。人の真似事をすることは悪いことではない。先人が生み出したものを身につけることで、幅を広げていくことは大事なことである。しかし、それだけしかしないのでは、いつか制度疲労を引き起こす。そこに何か自分の手を加え、新たな付加価値を加えてやることによって、それは初めて自分のものとなるのだろう。そのような、新しい付加価値を自分の手によって付け加えていくことが必要とされる。余裕がないと手一杯になってしまい、コピーするだけで精一杯になってしまうことがしばしばある。新たな知見を加えるには、多少の余裕、遊びの部分は必要なのだ、とも思う*1。だから、その部分はうまいこと自分で環境のコントロールをしてやることは必要だろう。けれども、余裕がないときでも、将来のことを考えて、常にこのような意識を持てるようになっていきたいものである。

*1:少なくとも、僕の場合は。