上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

漠然とした不安のその後の展開

その後の展開として、「不安」の中身について細かく書けばもう少し問題が整理できてくる、というところに考えが至りました。

僕が不安を抱くとき、というのは、得てして、「未知のものを前にして、何か問題が起こったらどうしよう、と思う」という類のものか、「些細な問題なのに、それがとても大きな問題であるように、知らず知らずのうちに自分の中で問題を大きくしてしまっている」という類のものである、ことが多いように思う。

前者の場合は、「もし困ったらどうしよう、ということを心配する」というもの。それは困ったときに考えれば良いのであって、考えても仕方のないことなのだ。まさしく、将来の不安は今不安に思ったところでどうしようもないのだから、考えなくても良い。けれども、やっぱり不安になってしまうのだなぁ。それが、「漠然とした不安」であるのだと思う。正体の知れないモノに恐怖感を覚える。実態がわかってしまえば、それに対する対処法も具体的に考えられるから良いのだけれど、実態がわからないと、どんな障害が発生するかわからない。「何が起こるかわからない」のが怖いのだ。今日、卒論が不安なんですけど、って教授に個人的に相談に行ったら、まさにこのことを指摘されました。うん、その通り。僕はそういえば、そういう性格をしていたのだな、ということを思い出しました(笑)。そのとき、あんまり詳しいことは書かないけれど、「不確定性」を嫌う性格は日本人に多いんじゃないか、みたいなことをおっしゃっていました。特に、うちの大学とかには多いんじゃないかという話をしてきましたけれど(笑)。確かにそう思うな。

そして後者は、本当は些細な、ちょっと集中してやれば解決しそうな問題だったり、一度やってしまえばらくらく進む問題だったりするのに、さも大きな問題であるかのように考えてしまって、それに対して「本当に出来るのかなぁ」という不安を抱くもの。これもきっとそうなんだよね。具体性が見えてくれば、そういうところは解消してくる。だから、自分で体を動かして、足を動かして、ともかく漠然とした不安に対して具体性を与えることによって不安を解消してやることが解決策の1つとして挙げられるのだ。前者とも割と似たところはあると思うのだけれど。多分、ここには、自分に対する自信のなさが表れているんだと思う。もっと自信があったら、「俺ならやれる」ってことで、全然そんなことはないと思うのだけれど。あるいは、前者の不安に対しても、自信があったらそんなことで不安になることはないのかもしれないけれどね。意外と、自信を持つ、っていうのは、解決策として挙げられるのかもしれない。

多分、就活だとか卒論だとかに関して僕が抱いている不安っていうのは、中身で見ればこんなもんなんだと思う。絶対的に実力が足りてない、とかいう焦燥感ではなくて、何か足りないかもしれない、という、漠然とした不安。そういうのは、やっぱり足を動かしたり調べたりして少しずつでも具体性を増していくしかない。あと、こういうのは、時期がくれば解決する不安だから、そういうものとしてその日が来るのを待てば良い。受験期、1年以上にわたって、僕はずっとこういう不安を抱えていた。けれど、それは、試験日が来れば終わる話なのだ。黙っていても、焦っていても、何もしないでいても、その日は来る。試験日はいずれやってくるのだ。だから、色々不安に駆られていてもしょうがないのであって、出来れば、無視するのが好ましいのだと思う。可能ならばね。

そして、多分、レポートが遅々として進まないとか、サボってて自己分析とかESとか書いてないっていうのは、自分に力がないという焦燥感なのでしょう。これは上で書いたような不安ではない。もっと集中力があれば、もっとマジメにやれば、っていう自分に対する失望。こちらは自分自身の問題だから仕方がない(笑)。頑張るしかないですね。これが重なると悪癖の自己嫌悪につながりかねないから、適度にがんばったり適度に褒めてやって、うまいことガス抜きをしてやらなければならないと思うのだけれど。同じ轍は踏まない。

こないだはこの2つをごちゃ混ぜにして書いてしまったけれど、多分そんな感じなんだと思います。

そして人に言う言わないの問題だけれど、結局、人に言うことは、言う行為によってこういう整理がつくということなのだと思うので、そういう効果が望めるものなら、そうすれば良いのではないかな。だからブログにしろ直接会って話すにしろ、整理がついてないな、と思ったらそれは話しても良いと思うし。いずれにせよ、多分話す行為によって得られるものは、上記における漠然とした不安の具体化なのだと思うのですよ。自分が誰かに話すことで曖昧だった問題点が明確になってくることもあるし、話を聞いてくれる誰かにもたらされた視点によって明らかになるものがあるかもしれない。そういう感じなのだと思います。だから、必ずしも人に話すのが悪いことではないと思いますね。論点が明確になるし。まぁ多分、これは男寄りな考え方だと思うのだけれどね(笑)。多分、「何で悩んでいるのかわからない」っていう状態とか、「どうしたらいいかわからない」っていうところで悩んでいるんだったら、もしかしたら、誰かに言うというのは良いことなのかもしれない。けれど、問題点も解決法もわかっているのに、ただ自分がやってないだけ、っていうことだったら、それは人に言ってもただ迷惑になるだけなんじゃないのかな。そんな気がしてきました。それは結局、「じゃあテメーが頑張れよ」っていう結論に終わるだけで何も進展はないからね(笑)。

人に言うことの迷惑だって、結局は些細な問題を大きな問題に捉えてしまっているだけなのだ、多分(笑)。そういうこと重大にメーワクだと捉えることは、思ってるよりずっと少ないかもしれない。けれどもまぁ、それでも迷惑になるときは迷惑になるのだろうから、空気読みながら、出すとこ出していこーと思います(^^;)。あと、人の話聞く分には一向に構わないので、僕でよかったら、不安を明確化するお手伝いなら出来ると思いますよ(笑)。

そんな感じか。2次的考察おわり。