上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

漠然とした不安

どうも気だけ焦ってしまってよくないですね。うーむ。

最近、夜寝る前と朝起きた直後の時間が辛いのです(笑)。本来ならば暖かい布団に包まれて至福のときを過ごしているはずの時間なのだけれど、もやもやとした漠然とした不安につぶされそうになる。まどろみの中で悪いイメージが頭に浮かび、胸が苦しくなる。夜寝る前には断頭台のイメージが頭に浮かんだりだとか、朝起きた直後には上から大きな重い石が上にのしかかっているような感じとか、とにかく悪いイメージばかりが頭に浮かんでくるのですよ(笑)。こんな仰々しいイメージ、ホントは書くのも憚られたんだけれど、ここんとこ毎晩、毎朝。まぁ、そのお陰で朝起きる時間が早くなるから、良いといえば良いんだけど(^^;)。

解決策はわかっていて、色々考える前に体を動かせ、っていうことなんですけれどね。将来に対する不安と、過去に対する後悔について考えても仕方がないのであって、今出来ることだけを見つめて、そのために今出来ることをしろ、と。

多分、夜寝る前にはその日1日を振り返るから、朝起きた直後にはこれから始まる1日のことを考えるから、なんでしょうねぇ。体が動いていない状態、頭もまだ起ききっていない状態で、悪いイメージだけが先行して膨らんでいく。「やること」が多く、それが遅々として進んでいない状況では、悪いのはサボっている自分だからこそ、やっぱり自分の不甲斐無さがどうしても目に付いてしまうと。あとは、将来に対する不安っていうのはやっぱりあって、それは自分の自信のなさ、あるいはやっぱり、これまでしてきたことが必ずしも自分の100%ではない、っていう現状に対して、どこかで不安があるからなんでしょうね。こんなんで大丈夫なのか、という。もっとやれるだろう、という。でも、やってないのは自分だし、多分やらないから不安なんだけれど(笑)。これは高校時代から体に染み込んだクセだから、なかなか今になってどうしようもできないところなのかもしれないな。

状況は把握できるけれども、それに対する解決策はなかなか難しい。考えるな、と言われても不安にはなってしまうものだし、じゃあそれを解決するために動け、と言われてもなかなか集中できるものではない。言うのは簡単なのだけれど。でも、過ちを繰り返さないためにも、今度こそ、この状況を克服してみたいものです。そうじゃないと、何を学んだのかということになるしね。やっぱり考えないことが良いのかな。でも、不安はどうしても発生してしまうものだからなぁ。ううむ。

まぁ、環境的な要因が大きいのでしょうから。もうしばらくの辛抱だ。あと3ヶ月くらい、ごまかしながら、耐えて頑張れば済むものだと信じましょう。今まで21年間(といっても、これをしているのは、ここ5年くらいの話だけれど)、そうやって何とかなってきたのだ。そのあとまたどうなるかは知らないけれどね(笑)。とりあえず今は、そんなところでしょう。

ごまかし方の問題でいえば、どうなんだろう、こういうことって、人に言わないほうが良いのかな。言ったほうが良いものなのかな。昔の自分ならば、言ってもどうせ解決するものではないから、と言って、言わなかったところなのだと思うのだけれど。だって、人に言ったところでどうしようもないものねぇ…。環境的な要因だし。やっぱり最後にはこうして「お前頑張れよ」っていう結論に落ち着いて終わるっぽいし。でも、得てして、こういう風に不安になっているときこそ、誰か他人に認めてもらいたくなるものなんだと思うんですけれどね。どっかで読んだことあるような気がするけれど。多かれ少なかれ、そういうもんじゃないのかなぁ。そして、今まで僕はそれをあまりしてこなかった。人に弱みを見せるのが嫌だったし、人に迷惑をかけるのが嫌だったから。けれども、意外と迷惑じゃなかったりとか(実際僕が逆に受ける立場なら、それは全然迷惑ではないのだと思う)、逆にそのせいで色々なことがこじれてしまったこともたくさんあるのだと思う。今となってはもう身体にこびりついてしまったものだから、これから変えられるものかはわからないけれど、そういうところを素直に出せたほうが、物事はうまくいったりするのかもしれませんね。

武士道的な美徳では出さないっていうことになるみたいなんですけれど。多分そっちのほうが自分にはしっくり合ってきたんだな。でも、グローバル化してそれと正反対の価値観とかも今の日本には入ってきてるわけで、価値観が多様だから、正しいものなんてのが信じられないのだ。だからあっち行ってこっち行って右往左往することになるんだけど。そんな新渡戸稲造の著作"BUSHIDO"に関する英語のテストが明日の2限です。さて、また勉強するか。