上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

ノーモア後悔

今年やり残したことなんて僕にはない。

そりゃ色々、「もっとやっておけば良かった」なんていうことは出てくるのだろうけれど、それをやってこなかったのは自分なわけで、多分今年がもう3日増えたところでそれはおそらく同じことになるんだと思う。そんなことは考え出せばキリがない。それは割と自分の人生全般に言えることであり、やり残したことなんていうのはないのだ。可能性を考えると「あのときああできた」という可能性はいくらでも考えられるではないか。例えば本当なら、こうやってブログを書いている間にも、もっと「生産的」な活動はたくさん出来るはずだ。勉強だっていくらでも出来るし、どこか行こうと思えばどこへだって行ける。けれどそれをしていない(もしくは出来ていない)のは自分であり、それすらもしないで後になって文句を言うくらいだったら、文句言う前に今やれよ、ということである。

「時間がないといってやらない人は、時間があってもやらない人です。」

要するに、「可能性など考えられないくらいに出来ること全てをやりきった上で、その上で後になってやり残したことがあった」という人は愚痴なり文句を言う権利があって、言いたければ言えばいいし、そうでなくって、そういうことを考えながらも馬鹿みたいな時間を潰していていて、あとでそれを後悔している人は、そんなことを言う権利はないと。やってこなかったのは自分なんだから、現実は現実として受け止めるべきで、それを踏まえたうえでやりたいことがあるんならぐだぐだ言う前にやりなさい、と。

あくまで個人的な意見であり、人にこれを押し付けるつもりは毛頭ないのだけれど。自分自身が、大して努力もしていないのにぶつぶつ愚痴なり文句なりを言いたげになっているときに、こういうことを考えることもある、というだけのこと。他の人に対してはあんまりこれは思わないかなぁ。

自分で納得しよう

言うのは簡単だけれど、なかなか実行に移すのは難しい。僕みたいな人間にとっては。これがいともたやすく出来ていれば、きっと今頃は相当偉大な人間になっているのだろうけれど(笑)。この間言ったこととは若干逆向きの考え方だけれど、それは多分逆だからこそ、こういうことを言うのだと思う。自分が何かやろうと思ってもやらない、という選択肢をとりがちな人間だからこそ、そういう選択肢を取った自分に対して、一度決めてしまったことに対して文句を言うのはやめなさい、という自戒かな。まぁやりたいと思ったらやれば良いし、思ってもやらないんだったら、そのことに対して文句を言うのはやめればいいし、とにかく、自分の今している行動に対して納得できるように行動しましょうね、っていうことを自分自身に対して言い聞かせているのだと思う。

後悔っていうのは可能性から生まれる。中島義道が書いていた気がする。可能性を考えてしまうからこそ後悔が生まれるのだ、と。だったら、後になって後悔しないよう、目の前にある可能性をしっかりと考えて、それを行使するか行使しないかはその場でしっかりと判断をすること。その時点で思いつかなかった可能性は、もう一度同じような状況に戻れたとしてもおそらく思いつかないのだろうし、おそらく同じ判断をするのだと思う。だから、考えたって無駄だねー、ということ。タイムマシンで過去に戻れたって、それは、未来から来た自分だったら、経験が1つ多い分そこで違った判断が出来るけれど、おそらく脳内の記憶まで同じ過去に戻ってしまったら、きっと同じ事を繰り返すのだと思いますよ。だから、経験は過去に対して用いるんじゃなくって、現在だとか、将来に目を向けることを考えましょうね。

今年にふさわしいきれいなまとめ(笑)。来年はこれを体現できるようにしたいものです(笑)。