上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

自省

気がつかないことってのは恐ろしいことだと思う。ってのは昔から書いてることだけれど。

自分が気がつかないうちに他人に迷惑をかけていることっていうのは、気がつかないことには直しようがないし、自分にとって何が悪いことなのかもわからない。そういう状況で無意識のうちに色々しているっていうのは、本意ではないし、出来ることならば避けたいものです。

ただ、最近はここから一歩さらに進んで、それに気がついたところで本当に直せるのか、見えないふりをするんじゃないか、開き直るんじゃないか、逆に押し付けてしまうんじゃないか、ということに対して疑問を抱いています。割と前向きな疑問だけれど。妥協できるところは多分すんなり妥協できる。けれども、多分自分の中には、本人としてはそう思ってはいないのだろうけれど簡単には妥協できない事柄というのも多分あって。もしそういう出来事に出くわした場合、頭の中ではそんなに重要視しないのだけれど、その結果として、上記のような振舞いに至ってしまうこともおそらくあると思うのです。自分で問題を問題として把握して、直そうとして真摯に向き合えるのならばまだ可能性はある。けれども、それを自分の中で勝手に軽く見積もってしまって、無意識のうちにそれに対する対処をおろそかにしていては、事態はもっと酷いことになると思うのですよね。

多分、そういうところって、本質的に正しいと自分では思っているから、逆にそういうのを生理的に受け付けられない人にとっては耐えられないことにもなり得るし、また、自分としてもなかなか直そうとしないところになってしまうのだと思う。そういうのを性質として受け入れてしまうならばそれまでだけれど、そこを何とか自分の側で折り合いをつけて、うまいこと解消していく方向に向かわせることというのは出来ないのだろうか??こういうのって、パーソナリティが固まる前でないと出来ないことなのだろうか??そうすると、そろそろ雲行きが怪しくなってくるころだとは思うのだけれど。。。

自分の中に多少なりともエゴイスティックな感情があることを認識しているからこそ、こういうことに対して茫漠とした不安を抱いてしまうのだろうけれど…。おそらくこれを解決する方法はいくらでもあると思うのだけれど、とりあえず真っ当な方向に歩みを進めていけば、疑念もろともこういう出来事は置き去りに出来るのではないかなぁ、と思います。多分、そういうところに気がつけないと、本当に人間としては完成されないのだと思うよ。道は険しいかもしれないけれど、踏み誤らないように、精進します。

言葉の使い方が誤っているせいで多分読者には私の本意が伝わらない文章になっていると思う。申し訳ない。