上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

転換

最近、自分が生きやすい生き方というのを考えるようにしています。やっと。

それをやることによって、自分のみならず他の人にも良い影響を与えるような気がしています。むしろこう考えるようになったきっかけは、そっちのほうが大きいかもしれない。例えば、自己嫌悪という出来事に対する捉え方を取ってみると、自己嫌悪をしたところで誰も得をしません。自分のことを嫌いになったからといって誰かが喜ぶわけでもないし、まして自分が喜ぶわけでもない。不機嫌な顔をしている人に対して好印象を持つ人はあんまりいません。そして、深刻さは伝染します。だから、そういう嫌悪とか落ち込みとかそういう感情をもったところで、自分にも他人にも、マイナスの影響しか及ぼさないのです。

だったら、嫌悪とか落ち込みとか、そういう感情はもう、要らないじゃないですか。無益なことは、もうやめようよ、と。

これは当たり前のことかもしれませんし、そんなことを考えるまでもなく、当たり前のようにこう出来ている人も、きっと世の中にはたくさんいるのでしょう。こんなこと考えたこともない人だっているかもしれない。ですが、それを受け入れることは、僕にとっては、とてもとても難しいことだったのです。それも、とても長い間。

もちろん、嫌悪とか落ち込みとかいう感情はどうしても生理的なものだから、抑えられないときはある。そういう抑えられない感情があることも受け入れる必要はあります。そういうときは、感情がわきあがってくるのは仕方がないことだとして、そのときはそのときで抑えようとしないようにしようと思います。むしろ、そこから引き摺らないようにすれば良いことなのだと思います。変に感情を抑えつけて鬱屈させると、あとで大変なことになるので。それを繰り返した結果が、おそらくこれまでの自分を形成してしまっていたのでしょうし。抑えつけるのではなく、軽くいなして流すイメージ。

これはもしかしたら、まだ、僕にとっての理想論にすぎないなのかもしれない。今は、比較的不安要素が少ない余裕のある状態だからこういう気分でいられるけれど、余裕がなくなってきたらまたどうなるかはわからない。実際、今までも、何度も繰り返してきたわけですから。それが一番怖い。けれど、まだわからないことに対して不安を持っても仕方がない。実際にそうなってみないとわからないことなのですから。だから、今は、将来に対して不安を抱くことはやめて、今出来ることとして、少しずつでも、この考え方を頭に染み込ませていきたいな、とは思っています。そうなったときにでも大丈夫だと言い張れるくらいまで。今はまだ、助走段階なのかもしれませんね。ここで躓かないようにしたい。

「誰も得をしない。」この考え方が大事なのかな、と思っています。最大多数の最大幸福。ちょっと意味は違うけれど、結局これを目指すことが、他人にとって良いことであり、自分にとっても納得できる答えを提示してくれるのではないかな、と思っています。