上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

不協和

なんだか。

頭の中の不協和音が最近増している気がする。理想と現実の乖離(一見、そのような事態が起こっているように「感じられる」)。そして、それに対して施す対処を取ろうとしない自分への苛立ち。けれども、苛立ちを募らせる一方で、そもそも取るべき対処がわからないことに対する不安と混乱。本当に乖離しているのか、本当にそれが問題であるのかがわからない時点で、下手に動いてよいものかわからない。放置しておけばそのうち時間が全てを解決してくれる、という思考を持つ一方で(このほうが優勢なことが多い)、ここで手を下すことが何かを変えられるのではないかという疑念。それのせめぎあい。そもそも自分が今間違った位置に立っているのか、それとも正しい位置に立っているのを間違っていると認識しているのかの判断がつけられない。曖昧だ。その場で出来る最善のことをしようにも、最善のことが果たして最善であるのかどうかの判断が下せない。そんな中で、結局何も事態を改善の方向へと向かわせない自分に対する苛立ちも一方では募る。不可能なはずなのに。双方を納得させることは果たして可能なのか。相容れない二項対立の軸を抜け出て、画期的な打開策を見出そうとする試みはここには存在するのだろうか。

混乱を覚える。いかんともしがたい状況。

おそらくは、いつものように些細な物事を勝手に複雑にしてしまって、不安が先行しているだけなのだろう。多分、時間が解決してくれる類の問題なんだと思う。時期が悪いだけで。混線に混線が重なり、嫌疑的な目を向けなくても良いところへも向けてしまっているだけなのだと思う。そのような状態で動こうとしても過ちを犯すだけであり、結局は後々の後悔へとつながるだけなのだ、と思う。思う。

あくまでも、思う、のレベルに過ぎないのだけれど。ここに確信がもてるならば問題は無い。けれども、ここに若干の疑念がさし挟まるところが混乱の元となっている。テンションの違いによってその疑念は次第に存在を大きなものにし、影を落とす。かくして、それらの間で揺れ動くこととなり、混乱が安寧を削っていく。

うーん、割と、これって年次的なサイクルの話だと思うのだけれどね…。毎年新年度の始まりから夏にかけて、同じようなことを繰り返している気がする…。

梅はまだかいな。