上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

変化

確実に思考スタイルが変わってきている気がする。あくまでマイナーチェンジだけれども。

行雲流水

根本にあるものに変化は無いのかもしれない。けれども、例えばの話だけれど、こういうことを考える時間は減ってきているように感じる。感じる、というか、今気がついた。あとは、なんか昔より些細なことをブログに書かなくなったような気もする。心境の変化なのか、立場の変化なのか、性格の変化なのか。どれなのかはわからないけれど、少なくとも、徐々にではあるが、変化していることは確かだろう。少なくとも、このブログにおいてもそのような変化は目に見える形でこのように見えているわけだから、自分という人間自身が変わっているのはどうも確かなようだ。(ちなみに去年の秋にも似たようなことを書いている)

周りの人にもそれは言えることだと思う。周りの人の性格自体もそういえるし、周りの人との関係や人同士の関係もまた然り。自分から見て、「あぁ、昔のようではなくなったな」と思うことは多い(特に最近それを顕著に感じる)。それはでもおそらく当然のことなのであって、取り立ててびっくりするようなところではない。1ヶ月とかの短いスパンならば話は別だけれど、僕が入学してから今までの2年間であったとして、僕自身、新たな人との出会いと新たな環境との出会い、新たな立場との出会いが何回あったことか。新しい要素が加わったところで、それを経験としてそれに適応するように変化が加わるのは当然のことである。それがどのように作用を及ぼすのかはわからないけれども、変化は必ず起こっているのだ。そして、周りの人の数だけそれらの変化は存在する。たくさん出会いと経験を重ねた人もいれば、人よりは少ない人もいるかもしれない。けれども、各自がそれぞれ経験を重ねているのは事実だ。身の回りに変化を経た人が多々いるのは当然のことなのだろう。それが今の自分にとって、良く見えるのか悪く見えるのかは別として。

価値判断

もう一度、自分自身に立ち返ってみる。

変化しているのは事実だ、と先に述べた。果たして、それが良い変化か悪い変化かはわからないけれど。昔言っていたような「落ち着き」という面では確かに落ち着きを得て、確実にいわゆる「大人」に近づいてきているのかもしれないけれども(世間にはその動きを嫌悪する意見も多い)、それが果たして本当に良いことなのかどうかはわからない。若いからこそ出来ることもあるのだろうし、それをわざわざ否定することはないと思う。変わりたい、と思いこそすれ、特に今の自分に関しては、過去の自分を否定的に捉えるつもりはない。今の自分を否定的に捉えこそすれ。ただ、それはあくまで性格的なものなのだろう。過去は美化される傾向にある(このへんがそんなことを言っている)し、現状には否定的な目を向ける傾向みたいなものがあるのだろう。今に関してはおそらくこれからも満足することはないのかもしれない。時々満足する部分もあるけれど(あるいは一番深層では実は満足しているのかもしれない、と思うときもある)、結局のところ、まだまだ満足できない部分は多い、と思う。断定は出来ないけれども。

良いのか悪いのか、の判断はその場の判断を絶対的に信じることが出来ない、ということは以前書いたように思える。昔から、価値判断は人それぞれ、その時々による、と主張し続けている気がする。人それぞれまず違うものであるし、そもそも同じ人の中でも、置かれた環境やテンションの違いによって異なるものだ、ということ。良いと思っていたものが3時間後には悪いと思うようになっていたり、ということはザラだ。良いと信じて疑わなかったものが1年後に変わっているかもしれない。結局のところ、本人の中で、自分の行ってきた行為の全ての価値が確定するのは、棺桶に足を踏み入れるときではないのだろうか??という考えは、今でも手放すことが出来ない。もちろん、その人に対する評価は死後も変わり続けるものであるが…。詳しいところはこの辺

受け入れて然るべき

多少脇道に逸れた。

相変わらず変わっていないように思えるところがあるのは確かだ。それは、自分が変えたいと如実に思っているけれどもなかなか変えることが出来ない部分であったりとか、変わってしまったと思っていた人の中に昔と同じ部分を見つけたりしたときにそう思うのだろう。そのようなときに、「結局やっぱり全然変わっていないね」と思うことはある。思わず全体(やら根本やら)に対してそれを適応してしまうこともある。けれども、変化を経ていない人はいない。全体としては。変わっていない部分はあるのだろうけれども、それはあくまで「部分」に対してだ。そんな感じがする。

4月。新学期。新年度。学年が変わり、学部が変わり(実は変わんないけど)、人間関係と自らの環境において、新たな要素がまたたくさん加わる。そして自分自身もまたそれに対応して変化を重ねるのであろう。

それが良いのか悪いのかはわからないけれども。けれども、少しでも満足できる現状に近づけるために、努力は怠るべからず。それが、後々の価値判断にとって、プラスに働くことは間違いがないのだろうから。過去を美化するためには、美化するに値するだけの努力をもってしかるべきである。