上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

自己中

自己中な振る舞いって、得てして自分が自己中であることを認識できない場合があることが多いから難しい。その辺に関して、やっぱり自分自身の中には強い恐怖が依然として残っているようだ。自己中なんじゃないかっていう気がしてならない。常にその恐怖が付きまとう。っていうか実際そうなんだと思うし。改善されていない気もして怖い。時折、人を無意識のうちに批判するときに、その批判がそのまま自分にも当てはまることに突然気がつきぞっとする。結局そうして自分自身の周りに厚い殻を作っていくのだろうけれど。人への批判が自分にそのまま鏡返しに投影されることによって、出来ることの範囲が、どんどん狭まっていく。けれどもそれは歪な形の独善に過ぎない。自分自身の自己中な解釈によって恣意的に定められたものでしかない。それを評価する方法は簡単には見当たらない。その結果、一方で気づかずに延々と同じことを繰り返している自分もどこかにいるはずだ。気づくことができないから修正の仕様がない。かくして、延々と同じ愚考が繰り返されていく。傍若無人な自分に気づき、自己嫌悪を繰り返す。気づくことが出来ればまだ良い。気づかずにスルーされた愚考はどこへ行く??そうやって他人の中に、自分の全く感知しないところで愚考は蓄積されていく。そこへの不安。恐怖。ぼんやりした形のものとしてそれは僕を締め付ける。

「人のことそうやって言ってるけど、結局のところ自分はどうなのよ??」

結局はこの自省を繰り返すしかないのだと思う。視野の狭さを呪いながらも。