上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

不注意

結局色々な問題というのは不注意から生まれるものであって、注意深く物事を観察すれば得てして大半の混乱は未然に防げるものなのかもしれない。

注意深くした結果結局誤った方向に進んでしまうことも有り得る。ただ、そのような場合には、おそらく不注意によって生じたミスが起こったときよりも、若干反省や後悔の度合いは軽いものになるような気がする。あと、あくまでそれはあげ足取りにすぎず、結局のところ注意深くなったほうが注意深くなかったときよりもずっとミスの量は少ないだろう。多分、注意深くなるに越したことは無い。また、「注意深くなる」というレベルにも色々ある。猜疑心ばかりが深くなってしまっても、それはそれで誤った方向に行ってしまうだろう。ただ、もちろんその辺のバランスは考える必要はあるけれども、これも上と一緒で、それを理由にして安易な方向へ逃げるようなことがあってはならないのだと思う。そして、常時、というわけにはいかないところも多少困ったところである。常時注意深くなれればそれは理想だけれど(結局ミスが起こるのは注意を切ったその一瞬だからね)、感情とか疲労とか底に影響を及ぼす様々な要因は存在する。ただ、結局それらもコントロールしようと思えばなんとかなる。体調と相談するとか、自分のキャパを認識しておくなんていうのがそれにあたるだろう。注意深くなるための状況に対して注意深くなること。そういったメタレベルでの意識も持てれば良いのかもしれない。

結局のところ、反論こそ色々あれども、それらは逃げの口実にすぎず、常時努力を怠らずにいたほうがいいということですね。

幸いにして傷が浅かった場合にはそれで良いのだけれど、一瞬の不注意が重大な問題を引き起こす危険性は実はそこらじゅうに転がっているような気がする。だから、そういう不注意による「軽い」ミスに気がついたときに、そのままそれを軽いものとして流してしまうのではなく、その機会を生かそうとすることが大事なんだと思う。せっかくそのような機会を与えられたのだから、取り返しのつかないことになる前に、今一度自覚を深めておく必要があると思うのです。ハインリッヒの法則に照らせば、1つの重大事故の裏には29の軽い事故と300の些細なミスが重なっている。そうした機会が与えられたときに反省することがなければ、そのまま際限なく進んでいって結局重大なミスにつながってしまう。そのチャンスを逃してはいけない、おそらく。そうやって時々方向修正してやることが、大きく方向性がそれることを未然に防ぐのでしょう。そういったところにも「注意深さ」がおそらく求められる。

って言っててできればそれで問題は無いんだけど。最近注意深くないからなー…。