上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

AM1:45

深夜にコーヒーを飲みながらレポートを書く。

窓ガラスにはカーテンがかかっている。そのカーテンの先には磨りガラス。どちらにしろ、星空は見えない。

宇宙に関するレポートを、星空の見えない部屋で書く。星空が見えればイメージは広がるのだろうか?

エネルギーの生成についての文章をレポートに盛り込む。今僕の頭上で部屋を照らしている蛍光灯4本に通っている電気もエネルギーによって作り出されている。決して実体としては私たちの目には見えないエネルギー。それは光や熱という形で私たちに恩恵を与えていることを認識させてくれる。しかし、本当に存在するのだろうか。私たちが作り出した幻想ではないのだろうか。私たちの想像を簡便にするための作り出された概念にすぎないということはないのだろうか。

そして今僕がこうして書いている文章にも実体はあるのだろうか。液晶のドットの集合として見えているだけであるはずの「画像」。張り巡らされた回線を通じてどこかから自分の眼前にひっぱってこられてきているものの、どこに「本物」が保存されているかもわからないこの文章。そもそも文章なのか?液晶の上にドットの集合として表示される前は、0と1の集合に過ぎない。それも0とか1という形で回線の中を走ってきているわけではないのだ。脳内でシナプスがつながり、キーボードが押され、電気信号に変換され…わけがわからなくなってきた。

紙に印刷されたものには実体があるとか思ったとしても、そこに印刷されている文字も考えてみればインクの集合に過ぎないのだ。突き詰めてみれば「画像」。網膜に映ってまた神経の中を伝達され…いったいどうやったら、そこから意味を読み取ることができるのだろうか。

宇宙の先にあるもの。今も私たちの頭上で輝いているであろう星空の光も、実は何億年も前に発せられた光なのだ。100万光年離れたところで発せられた光は100万年かかって地球にたどり着く。名も知らぬ星の重力に方向を曲げられ、宇宙塵にぶつかって遮られることもなく、私たちの人生からは想像することもできないほどの長さの時間をかけて、たまたまたどり着いた地球の大気圏を通過し、偶然にもそのとき上を見上げていた僕の目にたまたま飛び込んできた光。その光は網膜の桿細胞によって捉えられ、脳内に到達し、そして脳内にどんな風に保存されているかもわからない知識によって形に意味が付与され、オリオン座であることが認識される。

ミクロからマクロまでとてつもないスケールで物事が展開されているのに、私たちが普段意識するのは、ほんの狭い幅の、ほんの身の回りの些細なことだけ。なんか宇宙的規模で物事を考えようとしてみたら、色々なことが別にどうでもよくなる。細胞的規模で物事を考えようとしてみても、また色々なことが別にどうでもよくなる。僕が地球上で今こうして単位、点数のために一生懸命(?)レポートを書いていても、それは地球の営みから見たらほんの些細なことに過ぎないのだ。時々、ふっとこのような巨視的な視点に頭が飛ぶ。割と人生観にもこういうところがあるのかもしれない。

…なんか自分で何が書きたいんだか言いたいんだかわかんなくなってきた…。眠い。本当に久々にこの時間まで起きている。

さて、95%書きあがったレポートの最終確認をして、印刷して、そろそろ寝るとしようか。また明日も、1限から授業があるし。朝からフランス語だ。Bonjour...

…おやすみなさい。