上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

時の流れ

時というものは不可逆的に常に流れているものです。そして、それはしばしば時計の秒針が刻むように常に一定の割合で正確に過ぎていくものと思われてしまいます。ただ、「秒」というものは、人間が暦を作り生活の一つの単位として設定したように、恣意的なものです。人間世界では世界共通のものとして全世界的に扱われ、他の単位が無いためそれだけが絶対のように思われているけれど、それは人間の思い込みに過ぎない。

もし時計というものが発明されていなかったとしたら

時間というものは、常に一定の割合で過ぎていくものという概念は無いのではないでしょうか??。とても楽しいことをしながらすごした時間はあっという間に過ぎてしまいますし、苦痛に耐えながらの時間はとても長いものに感じる。そのように、何かをして過ごしたときに体感する時間の密度というものは違います。同じ1ヶ月でも、その間に何をしたかによって、「短い1ヶ月」と「長い1ヶ月」は違いますし、半年、1年ということについて考えてみても同じだと思います。そしてそれは「〜分それをやっていた」という時間の単位で区切ったときに初めて体感できるものであって、もしかして、時間の単位が無かったとしたら、たとえばつまらないことを60分やったあとの意識と120分楽しいことをやったときの意識というのは同じではないかと思うのです。恣意的に設定された「時間」という単位においては60分と120分は2倍もの違いはありますが、もし「時間」ということを気にしないで考えるなら、終わった後の感じとしては多分同じくらいな気分でいることでしょう。

うー

普段そこにあることが当たり前のようにすごしている「時間」ですが、もとからそんな概念が無ければ、多分、過ぎ去った2ヶ月間を惜しんだりとか、後悔したりといったことは無いんでしょう。そのときやっていたことの密度に対する後悔はあったとしても。

要するに

期間を区切るからこそ過ぎ行くものへの名残惜しさが生まれてしまうのだよ、といいたいのです(泣)。ええ、楽しかったと思いますよ(笑)。すごく。密度が濃かったからこそ、短く感じてしまうんでしょう…。中身だけで捉られれば良いのになぁ。そうしたら、満足して終われるんじゃないかと思うのに…。*1

*1:でも「時間」が無かったら、今の人間社会はここまで発達することはなかったんじゃないのかなぁ、とも思いますねー。今の社会を見てると。