上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

答えの無いけれど答えが欲しい問い

楽しいってなんだろう?昔はそんなことを考えて純粋に楽しめなくなっていたりしましたが、今はそんなことはなくなっています。ホントにそういうのの意味を考え出したらキリがなくって、「自分は本当に楽しんでるんだろうか?」って思ってなんか心から楽しめなくなってしまう。ときには、「生きるってなんだろう?」って、そういう風に思ってしまうこともある。非常に難しいものなのだと思います。

一度は経験するはず

新聞の投書欄とかでも見たことがある。多分、こういうことを思って悩んだことのある人って、とても多いのだと思います。自分だけではなくて。

絶対的な答えなんて無い。

そして、絶対的な答えなんていうものは多分ないのです。人それぞれが、悩んだ末に色々な結論を出して納得させている。だって、仮に絶対的な答えがあるとしたら、過去にそういうことを悩んだことのある偉人(ずっとずっと頭の切れる人)はたくさんいるはずなのだから、その長い過去の中でどこかで誰かがその答えを探し出していて当然なはずですから。そしてそれが絶対なのだよ、といって世間に広まって納得されているはずですから。「自分」とか「アイデンティティ」とかいう概念が出来上がるまではそういうことを考えることはなかったのかもしれませんから、そういう悩みが世の中に存在し始めたこと自体が比較的最近なのかもしれないですけど、それにしても、これだけたくさんの人が世の中に入るのだから、きっとそういうことなのだろうと。そう思っています。

自分は

将来的に、またそんな状況下に陥ることがありそうで怖いのですが、少なくとも一度経験した出来事だから、それなりにはうまくやっていけるのかもしれません。多分、気分の問題だから。そういうのって。悩んだとしても、時が経てば、いつかふっと落とし前がつくものだと。

先人の考え

初めてそういう状況下に陥ったときって、自分の中には経験がないものだからどうしたらよいのかわからなくて困ってしまうことってあると思うんです。だけど、そういう考えをしてる人が今までにたくさんいたこと、そしてその中の誰かは意見を書き残していること、ということを鑑みるとやはり先人たちの残した書物などにあたってみるというのが一番普遍的な方法なんでしょうね。その中で、自分にしっくりくる意見を採用して落とし前をつけてやればいい。宗教っていうのもある意味そういう答えの一つなんでしょうね。そうやって、新しく出てきた物事に落とし前をつけ、それを経験として自分の中にとりこみながら、自分自身のスタイルシートを作りつつ私たちは生きていくのだと思うのです。

まだ19歳ですが。。。

まだ19歳の人間がこんな偉そうなことを言うのもなんですが、19年間生きてきて、19年分の経験を経て最近そんなことを思ったりします。いつかまた変わるかもしれません。2005年9月26日まで生きてきて、そして今この日記を書いている時点では、そうやって考えているということ。経験が増えればまた変わるかもしれないですから。

ああ

過去の人たちの経験を脳内で受け継げれば苦労することもないかもしれないのに。今こうしているときにも世界のどこかで生まれてくるまっさらな赤ちゃんは、一からそういうことを悩みつつ身につけていかなければならないのですね。