上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

グレーゾーンに関する現状での考察

人の考えてることなんてわかるわけねーだろ、って話は今まで何回かしてきました。

結局、人それぞれ、そこまでの人生で積んできた経験は違うんだし、価値観は当然違うんだから、そんなもん究極的に言えばわかるわけねーだろ、って話です。その話がだいぶ煮詰まってきたので、ちょっと整理してみようと思います。

脈あり・脈なしの例で言うと…

それって、脈の有無で説明してみれば、結構わかりやすいんじゃね??というのを、1ヶ月前くらいに、とても中性的な立場に立ちながら*1電車の中で考えていて、ある程度まとまったけど、書く機会をなんとなく逸していたのでした。で、最近そういうことを書いている人がいたので、せっかくだから書いてみましょう。

脈の有無なんてのは、人によって全く違うのですよ。多分。

そもそも、白黒はっきりつけられる話ではなくて、グレーゾーンをうまく使っているところからこの問題が発生してきます。世の中が白か黒かだけだったら、「好き!(黒)」とか、「嫌い!(白)」とか言ってしまえば済む話です。非常にわかりやすい。世の中全て、円満に解決しますね。いや、そーでもないか。けど、そうじゃなくて、「う〜ん、好きなんだけど…今はちょっとやることがあって他の事は考えられない…(黒に近いグレー)」とか、「別に友達として遊びに行くのは全然ありだよね〜(白に近いグレー)」みたいな事例も存在します。さらには、はぐらかしたりとか、思わせぶりだったりとか、損得勘定で考えていたりとか、ホントに色んな人がいます。世の中はフクザツなんだよ。そんなに簡単に言える話じゃないんだよ。

…で、その濃淡っていうのが、人によって異なるんじゃないかな。

まずは、1次元。

だってそもそも、人に慣れてる人と慣れてない人で、人との接し方って、全然違うじゃないですか。ある評価軸を1つ取ったときに(たとえば、話してるときの態度、とか、メールの文面、とかでね)、おそらくこれ↓くらいの濃淡の違いはあると思う。

  

↑左側の人は、相当黒い部分が少ないですね。一方、右側の人は、結構黒い部分があります。まぁ、こっから先、黒=脈あり、白=脈なし、と仮定してみましょう。ちなみに、世の中は決して、こんなん↓ではない。

ごめん、話が逸れた。上の例に基づいて言うと、例えば、ある局面である行動をしたことが観測されたとき、まぁ、事実上は、同じ行動をしていれば、同じように見えるはずです。お悩み相談とかでよく、「〜〜っていうメールが来たんですけど、これって脈ありですか?脈なしですか?」みたいな。それって、誰がやってても、見た目では同じように判断できるじゃないですか。文章にしちゃえば。だから、同じ位置にあると判断できる。その場合に、その人が実際のところ、内面ではどんな気分でその行動をしていたかっていうのは、さっき用いた濃淡をあてはめると、こんな風になる↓のではないかと。

  

↑左側の、若干濃淡が薄めの人は、同じ行動しててもグレーだよ、って感じだけど、右側の、若干濃淡が濃い目の人は、同じ行動がもう真っ黒ですよね。要するに、左側の人はほれにくい人で、右側の人はほれやすい人だ、ってとこでしょうか(笑)。ちなみに、繰り返して言うが、世の中は決して、こんなん↓ではない。

このように、同じ行動をしていても、その人の内面の濃淡によって、捉え方は違っているわけです。で、おそらく、一般的に「これは白」とか「これは黒」とか判定する場合には、判定する人が、各々の経験に基づいた平均値なりなんなりを想像して、だいたいこの辺だろー、っていう境界を適当に引っ張るんですね。多分。で、黒っぽい、白っぽい、って、どっちかの判断を下す。さっきの例で言えば、右側の例ではもうこれはほぼ黒と言って間違いないから、おおよその人はそれよりも手前で線を引いていて、「これは黒」って言うだろうけれど、左側の例は、微妙。人によって、その右側で境界を引くか、左側で境界を引くかは、分かれると思う。これって、グレーですよね。どっちかっていうと…うーん、黒かな??いや、白かな…??って。

ま、ここでは、その濃淡は、あくまで判断する人の個々の経験から導き出された感覚に基づいた平均値であり、人それぞれ違うんじゃないか、ってことが言いたいのです。

ところで

ちょっと話は逸れますが、人間白黒はっきりつけたがりますし、やっぱり何か事を起こすときに、「起こす」「起こさない」の白黒どっちかの決断をしなければならないわけですから、最終的には白か黒、の判定を無理やりにでもしなければならないわけですね。その辺を曖昧にしていると、いつまで経っても曖昧なままです(笑)。だから、黒寄りだと判断したら、えーい黒だっ、って言って、黒の判定を下すわけですよね。最終的には、どっちかにしなければならない。行動を起こすときには。だから、白黒はっきりしないグレーでも、白黒つけようとしてしまうのです。きっと。

そして、2次元へ。

で、これまで述べてきたように、1本のグラデーションにしてしまえば、ある特定の局面の行動に関しては、このように判断できるわけです。たとえば、メールの文面とか、食事のお誘いとか(定番!)。しかし、人間の行動っていうのは多岐に渡るわけで、ある局面においては積極的だけど、ある局面では消極的、って言う人もいますね(たとえば口では全然話せないけど、メールは結構できる、とか)。だから、結局のところ、その評価軸っていうのは、場面に応じて無数に存在するわけです。じゃあ、今1つの局面をこうやって1次元的に線の上のグラデーションで表しているのなら、無数の場面を2次元に展開してみることはできるわけで、円形にぐるっと展開してみて、円形だと仮定しても良いのではないでしょうか(別に丸くしなくても、横にずーっと伸ばしてって山状にしてもいいけどさ)。まぁ、とりあえずここでは円形にするとして、考えてみましょう。そうすると、無数の局面によって、個人の中でもそれぞれ濃淡は違うわけだから、広げてみるとアメーバみたいなぐにゃぐにゃした形になると思われます。まぁ、それにしても、人との付き合いに慣れている人慣れてない人で言ったときに、全般的に得意だったり全般的に苦手だったりはするでしょうから、図示するときには、それぞれの全体的な大きさに、やっぱり違いは出てくるんじゃないかと思いますけれど。さっきの例で言えば、左側のほれにくい人は左のような形(黒っぽい部分が全般的に小さい)、右側のほれやすい人は右のような形(黒っぽい部分が全般的に多い)のようになるんじゃないかと。

  

そして、ここにある種の行動を見るときには、とりあえず中心を通る軸を引いてみるわけです。今回はとりあえず適当に、主要っぽいところに12本の軸を引いてみる↓けれど、この軸は行動ごとに無限に取れる。無限に線は引けて、ちょっとでも状況がずれると、それはまたちょっとずれた別の評価軸になるんだと思う。それこそ、フラクタル図形みたいに、どこをとってもグレーゾーンな感じで(ちょっと違うけど)。

  

そして、ある軸の上で見たときに、その軸において、ある行動をすればそれはこの辺かな、ってところを点にとるわけです。そうすると、別の人が同じ行動をしているときは、同じ軸の同じ場所に乗っかっているように見えるわけですから、こんな風↓になるわけです。

  

↑左側の人だと全くの白だけど、右側の人だと黒っぽいグレー。同じ行動をしていても、人によって違うわけですよね。1次元の線引きをしたときと同じだ。

ただ、軸がたくさんあるので、同じ人の中でも、別の軸を見ることが出来る。要するに、別の行動を見てみたときには、違う結果が出ることもある、ということですね。例えば、さっき点を取った例が「会話中にこんなことを言ってましたけど」みたいな例だったとすると、「こないだこんなものくれたんですけど」はこんなところ↓になる、かもしれない。

  

↑この場合は、同じ行動をしていて、同じようなグレーの色合いになっている。さっきの、「会話中にこんなことを言ってましたけど」の例では、同じ行動をしていてても片っ方は思わせぶり、もう片方は多少可能性あり、と大きな違いが出ていたのだけれど、「こないだこんなものくれたんですけど」の場合には、両方とも、まぁ可能性はあるかな、くらいな感じになるわけですね。このように、場面場面とかによって、違ってくるのだ。きっと。

ちなみに

またちょっと話はずれるけど、多分、白黒はっきりつけたがる人は、グレーの幅が小さいんでしょう。割と黒っぽいところと、白っぽいところの区別がつけやすいんだと思う。逆に、曖昧な人とか、意見があんまない人とか、思わせぶりな人って言うのは、グレーゾーンがすげー広いんだろうね。その2者を図にしてみるとこんな感じ↓か。

  

↑左側の人は「ここは白!」ってとこと、「ここは黒!」ってところがわかりやすいけれど、右の人は、グレーばっか。あんた、白も黒もあんの??って感じ。ホント、真っ黒と真っ白が少ないですね。はっきりしないヤローだ(笑)。わかりやすいから円形にしちゃったけど、ホントはもっとぐちゃぐちゃなんだと思います。形とか濃淡はね。

ここで一般論に引き戻して、まとめ。

結局、そんな感じなんじゃないかな。グレーゾーンって。

今回は脈あり脈なしの例で説明したけれど、別にそれだけじゃなくって、ほとんどの事柄はこんな感じなんではなかろうか。

よく、人間の性格をレーダーチャートで示したりするけれど、あれと似たような感覚。で、その際に基準となっているのは、はたから観測して同じように見える行動、だと思うのですよ。それが、他人を評価する際の軸になっている。けれど、人によってそのレーダーの割合は違うんだから、そりゃ同じ行動をしてても人によって結果は違って当然だよね、って話です。

で、さらに、レーダーチャートだと白黒はっきりつけちゃう(内側と外側)けど、実際にはグレーゾーンが物凄く広くって、白っぽい黒とか黒っぽい白なんてのがホントにたくさん存在しているんだと思うんです。上に挙げたような図だと、あんまりグレーのところに幅が出てないけど、実際はもっともっと色合いに段階はあるんだと思う。それこそ、最後に円形で2つ示したやつの、右側のやつくらいに。

しかも、これは固定なんじゃなくって、それこそアメーバみたいに、流動的なものだと思うんですよね。大まかな形はそんなに変わんないんだろうけれど、日によって変わるし、時間によって変わる。気分とか出来事とか状況とかに左右されて、ホントぐにゃぐにゃに蠢いているんだと思う。

さらには、「自分で思っている自分の円の形」と、「他人が思っている自分の円の形」は違うのだ。そして、「自分が思っている自分の円の形」と、「本当の自分の円の形」もおそらく異なる。多分、「本当の自分の円の形」なんてものは、誰にもわからないんだ。自分でさえも。ひょっとしたら、自分より他人のほうがより正確にその形を把握している可能性だってある(というか俺は結構そう思ってきました)。

このような状況を踏まえた中で、「白黒論」だけで判断するのは、そりゃあ無理だろう、と。正確に他人のこの図を想像できるわけではないし、それの判断を出来るわけでもない。自分だってわかってないんだから。だから、ある程度踏ん切りをつけるしかないんですよね。結局。別に人の意見にすがったりするのは良いと思うけれど(それは推定の良い材料になることがあるからね)、あくまでそれも、人から見た一意見にすぎない。それを踏まえたうえで、多分、人の気持ちが判る人とか、空気が読める人、っていうのは、ある程度このチャートの推測が上手な人だったり、グレーゾーンの線引きの見極めが上手な人だったりするんでしょう。経験が多かったり、洞察力があったりして。けど、ある程度まではいけても、結局は無理なんだと思う。だから、そんなん考えずに、とりあえず当たってくだけちゃえよ、っていうアドバイスは至極正論だとも思うし、逆に、悩むなら悩むだけ悩めば、っていうアドバイスも結局正論だとも思う。だって、わかんないんだからね(笑)。

だから、結局のところ、自分が納得いく決断が出来ればそれでいいのかな、と思います。人がどうこうとか、関係なしにね。まぁ、実際のところは、それだけではないから難しいんだけど。

以上、久々に長文でした。

長文過ぎるほどの長文。久々になんか文章を書く気になったと思って、昨晩ちょっと高いテンションで書いてたら、気づいたら結構な時間が経ってしまった(笑)。ただ、思いつきで一気に流しただけだから、あまり推敲はされていない。ツッコミどころも結構あると思う。それはまた、追々修正されていったりとか、誰かからツッコミがあって明らかになったりするんでしょう。あとは、もしかしたら、こんなことを既に先に言っている先行研究があるかもしれない。っていうか、おそらく、あるだろうね(笑)。

てか4000字超えた。あたまわるい。その割には大したこと言ってないし…。

*1:別に自分の中でどうのこうの、っていうのではなかった、ってことね